チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年12月13日
広島の野鳥
アオサギ 99cm
今日は日曜日ということで、久しぶりに鳥の日。
といっても、ここはダラムサラではないので鳥も日本のもの、それも広島の鳥です。
この美しいアオサギは私が広島に着いて初めて目にした鳥です。
呉線の呉ポートピアというローカルな駅を降りて家に向かうまで海岸線を歩くのですが、その時に見かけたのです。
家の裏にこんな鳥がいたんだ!と驚いたものです。
人はその時の関心の向きにより風景をかなり選択的に見ているものだな、、、と気付かされるほどでした。
この瀬戸内海のすぐそばで育った私は子供の頃、夏になれば毎日裏の海で過ごしていた。泳いだり、飛び込んだりするだけでなく、潮が引けば干潟で貝、カニ、エビ、シャコ等を採集し、満ちれば潜って魚を突いていました。
釣りなどは子供たちの間では、一つの餌で何匹釣るかを競争するぐらい沢山釣れていました。
それほど、海の幸は豊富でした。
海も透明そのものでした。
沖には牡蠣や真珠の筏が無数に浮かんでいました。
もっともこの子供時代より癖になった狩猟生活は、ダラムサラに行ってチベット仏教を知ってからは懺悔の対象ともなったものです。
その後、海はどんどん汚染され、裏の海は遊泳禁止になりました。
すぐ隣にある猟師の波止場も急速に活気を失い、今ではただレジャーボートが何隻か泊っているだけです。
もう猟師で生計を立てている人は全くいないようです。
最近海は再びきれいになって来ているようだ。
ゴミも見当たらなくなりました。
でも、もう夏になっても裏の海で遊ぶ子供たちを見ることはなくなりました。
最近は海水浴場以外で泳ぐ子供はいないようです。
なにより、子供自体がこの周りにまるで居なくなったらしいのです。
昔、周りにあんなに沢山の子供がいたのが嘘のようです。
この一帯は海に近すぎてよく台風の被害を受けたりします。
土地が低いので高潮の被害を受けやすいのです。
確かに大潮のときなど、家の横の道とその横の海との差は1メートルを切る状態です。
子供のころに比べ海水は迫ってきているという実感があります。
温暖化による海面上昇で真っ先に沈むべき運命にある土地というわけです。
コペンハーゲンでは今
昨日は数万人規模のデモが様々な環境団体により行われ、暴徒化したとして1000人以上が逮捕されたという。
この逮捕は大した逮捕ではないが、それにしてもみんな寒いデンマークで熱くなっていることは伝わってくる。
亡命チベット人も「チベット第3極点運動」と名付けられたチベットの環境を守るためのキャンペーン・チームを送り込んでいる。
今回の活動の中心は「遊牧民の強制移住に対する抗議運動」となっている。
とにかく世界200カ国の団体や個人が参加しているということなので、お互いの絆・連帯づくりも大きな仕事なのでしょう。
今回の会議には本気で世界中が参加していると感じる。
そして、世界中は大雑把な開発途上国対先進国という対立構造にはまっているが、其々の中においても主張は異なり、結局到底同調的ムードとは言えない対立ばかりの目立つ会議になっている。
その中でも中国のふてぶてしさは群を抜いている。
この先、このような国際的協力が必要とされる場面は益々多くなるであろうが、中国は西洋世界に対し一々反対意見を主張することが予想される。
結局、判っていてもどうしようもないという中国、インド中心の物質的発展と大気汚染プラス軍拡という状況は続き、計算通りにある破局に向かうという訳だ。
日本の水道はさすがに勢いがいい。
いつも、水不足のダラムサラで、ちょろちょろ水に慣れている私は最初戸惑い、そのうち蛇口をぎりぎり絞って使うようになる。
それでも、風呂には贅沢する。日本では一回に最低200リットル使う。
ダラムサラでは風呂と言って、週に二、三回バケツ一杯(20リットル)のお湯だけで済ます。
この差は大きい。
もっともそのうち中国に水を売るようになれば、日本の水道水の圧力もどんどん落ちるかもしれないが。
それにしても、とにかくインドの田舎に住むのと、日本に住むのとでは何でもかんでもその消費量はけた違いだ。
日本に住んでいるだけである種の罪悪感に苛まれるかも知れない、、、
でも、すぐ慣れてしまうけど。
慣れると言えば、最初のころはテレビに世界のニュースがあまりに乏しいので、世界から置いてきぼりになった気がして寂しく感じるが、これにもすぐ慣れ、馬鹿番組を見てたりする。
日本は先進国の中では飛びぬけて閉鎖的社会と感じる。
チベット支援活動も相当閉鎖的に見える。
チベット問題一つを取ってみても、とにかく世界は英語で動いていると、今更ながら感じるわけです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)