チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年8月1日
不垢不浄
デリーにはマジュヌ・カ・ティラという有名なチベタン・キャンプがある。
昨日(31日)の夕方カリンポンからデリーに飛んでこのキャンプに一泊した。
キャンプと言っても今ではこの狭いオールド・デリーの北のどぶ川の河川敷には所狭しとホテルやレストランが建て込む場所となっている。
20年前には見渡す限り、遊牧民のヤクテントさながらの黒いビニールだけで作られたバラックが続いていた。
無数の汚れたタルチョの幟ばかりが空にたなびいていた。
そこはオールドデリーのリキシャマン(人力車の運ちゃん)の夜のたまり場だった。
そのころ一番安く酔える場所だったからだ。
チベットの地酒チャンがビニール製の大きなコップ一杯1ルピーで飲めた。
キャンプ中にチャンのすけた匂いが充満していた。
難民チベット人は特産の不道徳な酒で生き延びていた。
ところが、15年ほど前にこのチャンをインド政府が密造酒と認定し、その取締をはじめた。
キャンプの人たちはそれまでチャンで稼いだ金でそこにホテルを建て始めた。
これが、当たった。
インド中に散らばったチベット人は盛んに移動する。特に法王の法話や潅頂があると聞くとそのたびに大移動が度々ある。
必ずデリーを通過するので、このホテルとレストラン街は繁盛した。
今ではこうして一大安宿街が出来上がったのだ。
もっとも、もともと不法占拠の土地なので、常に当局から追い出しの脅しがかかるらしい。
ではあるが、キャンプの南半分はまだ貧しさの残る地区だ。
8月1日の朝、連れの二人といっしょにキャンプの中を歩いていた。
ゴンパに参り、その南の狭い路地が迷路のように続く今だ貧しい地区に入った。
世界中を取材で巡った百戦練磨の一人が「しかし、ここは臭いがあまり無いね。大体こういうスラムはどこも独特の臭いにおいがするもんだが、ここにはそれが無いね、、、」
と言った。
「そうですか。今は本当にここもきれいになりましたからね」
と私。
その時、頭になぜか般若心経の中にもある「不垢不浄」という言葉が浮かんだ。
もしも、日本から突然初めてこのデリーのチベットキャンプに来た人は「なんて不潔でハエと蚊の多い、臭いところだこと」
と間違って来てしまったそこから早く逃げ出そうとすることだろう。
でも、そこに長年住み続けてきたチベット人たちはみんな「この街は何てきれいになったことか、これもすべてダライ・ラマ法王のお陰だ」と思っているのだ。
人は誰でも、それなりに少しでも清潔に暮らしたいと思っているものだ。
それぞれのやり方で精いっぱいそのために働いている。
「事物であろう、心であろう浄不浄は各自の相対的感覚によるのみだ。つまり浄も不浄も言葉のみ」と、その時改めて感じたのだ。
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昨日の夕方、ダラムサラに帰って来た。
やっぱ、涼しいダラムサラが一番と、いつもの山をベランダから見上げて一人で落ち着く。
でも後4日ほど、机に付く時間はほとんどなさそうです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)