チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年7月28日
ポカラ
車チャーターでしたが、最後運ちゃんがカギを車に入れたまま、ドアを閉め、カギなしで車をこじ開けることに、地元の専門家数グループ(ドロボー?)も失敗し、半日遅れて代車で帰るというハプニングがありました。
ポカラはネパール第二の町、ここからは8000m級のアンナプルナ山塊が間近に見えるというので近年急速に観光化を進んだ街です。
30年前に来た時にはただの寒村だったところがこんなに変わったかと驚くほどペワ湖の縁は一大観光地となっていました。
もっとも今はシーズンオフ、今時暑いポカラに来る変わり者はまずいない。
山が少しでも見えたのは着いた次の日の朝焼け時だけでした。
写真はその時の貴重なショットです。尖っているのは7000m弱のマチャプチャレ。
もう一枚は7300mぐらいのアンナプルナサウス。
8000mを越えるアンナプルナ?の頂上は見ることができませんでした。
観光の中心地ペワ湖を見下ろす丘の上に最近例の日本山妙法寺さんが仏塔を建てられました。そこに登って取った写真にもあるべきヒマラヤは見えず黒い雨雲が映ってるだけ。
しかし、今回は物見遊山ではないので山は直接関係ないが、、、やはり私は山をゆっくり見たかった。
ところで、ここには四か所のチベッ難民キャンプがある。
ペルジョル・リン、チャンパ・リン、ヤンサにタシ・リン。
全部で約5000人のチベット難民がいるという。
タシ・リンには去年のチベ夏イベントでも何度も上映した岩佐監督の「モモチャンガ(満月ばあさん)」の主人公モモチェンガばあさんが住んでいらっしゃると思い会いに行きたいとも思ったのですが、今回はニアミスでした。
写真に写っている羊たちはペルジョル・リンで飼われてる羊たちです。
これを見て同行のディレクターが「羊がなんでここにいるのでしょうかね?食べるのかな?」と言うので、現地コーディネーターのツェワン女史に訊ねると、
「とんでもない!これらの羊はみんなヒンズー教徒たちの祭りの生贄になるところを助けられた羊たちですよ。お金を払って助けてきた羊たちです」
との説明。
続いて自分の経験を話始めました「私がある時町を歩いていてふと横を見ると、ちょうどヒンズー教の寺院の中庭で足を括られた羊が殺されそうになっているところだった。
私は思わず大きな叫び声を上げて、すぐにそこに走って行った。まさにその哀れな羊は首を切られようとしていた。私はナイフを持つその男に、とにかく殺さないでくれ、お金は払うから、と言った。でもその男は金を払うのは他の羊にしろ、と言って承知しようとしなかった。私は普通の二倍のお金を払うといって、すぐに一緒にいた仲間たちからお金を借りて言われた額を払いその羊を連れて帰ったことがあった」
とチベット人ならではの話をされた。
キャンプの住人達はほとんどが老人だった。羊も相当年をとっているようだった。
今回何故にこの辺をうろついているかと言うと、9月に日本で放映されるであろう一時間物のチベット関係ドキュメンタリーの制作につきあっているからです。
詳しいインタビューの話はまだ私がここに書くことはできませんが、周辺の解説ぐらいは許されるでしょう。
内容は歴史検証と言えるものです。
1949年10月1日毛沢東がチベット解放(侵略)を宣言して後、法王がインドに亡命される1959年3月までがターゲットです。
その中でも中心は1959年3月10日から法王がインド国境を越えられるまでです。
残り少ない生き証人たちのインタビューを取るのが仕事です。
3月10日、大勢のラサ市民が法王を守ろうとノルブリンカに集結した。
17日の夜、変装された法王がノルブリンカを秘密裏に脱出され、国境へと向かわれた。
20日から中国軍は一斉にノルブリンカを中心にポタラ宮殿、ジョカン寺に砲撃を開始した。
激しい砲撃と雨のように襲いかかってきた銃弾により、ノルブリンカはほぼ破壊されつくし、あたりはチベット人の死体で足の踏み場もないほどとなった。
その時の惨劇を経験した人々は一様に「この世の地獄だった」と話す。
それからの数日間だけでも数万人のチベット人が殺されたという。
まさに虐殺、ジェノサイドと呼んでいい状況と化した。
中国はこの時点で法王の脱出を知らなかった。
つまり中国は法王がいるであろうノルブリンカに徹底的に砲撃を加えたのだ。
殺しても良いとの指令は誰が出したのか?
法王は少人数の私的護衛官とカンパ・ゲリラに護られキチュ川、ツァンポ川を越え南に向かわれた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)