チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年11月23日
両足切断された姿で焼身者家に帰る
チベットの遊牧民スンドゥ・キャプは焼身したとき17歳であった。17歳と若かったが既に結婚し、2歳になる子供もいた。今から2年ほど前の2012年12月2日、アムド、サンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)ボラ郷にあるボラ僧院近くの路上で、彼は中国政府のチベット弾圧に抗議する目的で焼身した。焼身中に何を叫んだかは伝わっていないが、目撃者の1人は「彼は焼身しながらも頭を壁にぶつけ、沢山血を流していた。連れ去られるときには死んではいなかったが、生きる望みは少ないであろう」と語っていた。
部隊に連れ去られた後、行方不明になっていたが、家族が数ヶ月後、彼が収容されているという病院に呼び出された。「両足を切断しなければならない。承諾書にサインしろ」と言われたという。その時家族は彼の病室に入ることを許されず、ドアのガラス越しにしか彼を見ることができなかった。両親はそのとき、「片足ならまだしも両足ということになれば、親戚にも相談しないといけない」とサインをしなかったという。
その後、再びスンドゥ・キャプの消息は家族も知ることができなくなった。今年に入り、家族は彼がサンチュ県の拘置所にいることを突き止めた。家族は彼のための食料や衣類を持って、その拘置所に出向いたが、面会は許可されず、さらに「スンドゥ・キャプがここにいることは誰にも漏らすな」と脅され、追い返されたという。
11月23日付けTibet Timesチベット語版によれば、このサンドゥ・キャプが1ヶ月ほど前、自宅に返されたという。しかし、彼は両足を切断された姿だったという。現在家族は厳重な監視下に置かれていると言われ、その他、彼の健康状態等に関する情報は伝わっていない。
焼身後、生き残った人も20人近くいるはずだが、ほぼ全員、当局に連れ去られた後の消息は今に至るまで分かっていない。彼のように病院や拘置所から自宅に返されたという報告が入るのは初めてのことである。他にも何人かがすでに自宅に返されている可能性はあるだろう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)