チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年10月5日

ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞25周年祝賀会

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_DSC8814_1073少し報告は遅れたが10月2日、ダラムサラ、ツクラカンでは「マハトマ・ガンジー生誕145周年に合わせ、ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞25周年を祝う会」というものが行われた。今回特別だったことは、この祝賀会のために2人の女性ノーベル平和賞受賞者がわざわざダラムサラまで来られていたということだ。彼女たちの発言等もいくつか紹介したい。

_DSC8418_1029この日特別に上機嫌と見受けられた法王であったが、「ダライ・ラマは私で終わりだ」に続き、最近また日本の新聞にまでダライ・ラマ法王関連の記事が出回っている。一つは産経新聞の「南ア、ダライ・ラマのビザ発給拒否 中国への配慮?ノーベル賞受賞者サミット中止に」のように「サミット関連」であり、もう一つは「ダライ・ラマ、チベットに帰国か?」だ。と書いて、2つ目は日本語だとレコードチャイナの記事ぐらいしかないことを知った。が、とにかく英語媒体ではこの2つが今週の話題の中心だったので、そのことについても少し書くつもりだ。

_DSC9022_1093今回来られたノーベル平和賞受賞者は地雷禁止国際キャンペーンで有名なアメリカのジョディ・ウィリアムズ(Jody Williams)女史とイランの人権弁護士、人権活動家であるシーリーン・エバーディー(Shirin Ebadi)女史だ。当初4人の平和賞受賞者が集まる予定であったが、イエメンの女性活動家タワックル・カルマン(Tawakkol Karman)女史は最近のイエメン動乱と難民発生に対応するため緊急帰国中であり、イベリアのレイマー・グボイー(Leymah Gbowee)女史は自国にエボラ熱が蔓延し始めた故、こちらも緊急帰国中ということで今回出席することはできなかった。ジョディ女史とシーリーン女史はダラムサラに来るのは2度目という。

_DSC8274_1005この写真は前日に行われた記者会見の時のものだが、手前に写っている女性は「ノーベル女性の会(Nobel Women’s Initiative)」現会長のLiz Bernstein女史である。「ノーベル女性の会」というのはこれまでにノーベル平和賞を受賞した女性8人+名誉会員アンサンスーチー女史で構成されている。会の目的は「世界中で人権、平等、正義のために闘う人々を支援するため」という。

ダライ・ラマ法王へのビザ発給拒否に抗議し、南アフリカのノーベル平和賞サミットをボイコットした6人の平和賞受賞者全員、この会の人たちである。

エバディ女史シーリーン・エバーディー女史。

「私たちが今回ダラムサラを訪問した目的は、正義や人権を求めて闘っているのはチベット人やダライ・ラマ法王だけではないこと、そして世界中がチベットを支持していることを中国政府に示すためだ」と女史は記者会見でも祝賀会でも重ねて表明した。

「南アフリカには人種差別との戦いの歴史がある。だからこそ、その南アフリカがダライ・ラマ法王への査証発給を拒否するのが、受け入れられないのです」「南アフリカでの平和賞サミットはネルソン・マンデラ氏の精神を思い出すためのものである。中国の圧力に負けて法王にビザを出さないとは彼の精神に反する」と述べられた。

彼女はホメイニ時代から続くイランの専制政治の下で、逮捕された政治犯等を擁護する人権弁護士であったが、現在は入国を拒否され亡命の身である。圧政下のイランの状況はチベットと似ているという。英語が達者でないらしく通訳を介して話された。彼女のイラン語のスピーチはなかなか迫力があった。

彼女はまた、非暴力の闘いに勝利するには、何よりも、まず「いいジャーナリストを育て、しっかりしたメディアを作る事だ」と強調された。

_DSC8735_1064「チベット内地のチベット人も外地のチベット人も私たちが常に支援し続けているということを知ってほしい」と語るジョディ・ウィリアムズ女史。

ジョディ・ウィリアムズ女史は10月1日の記者会見の時、「サミットは南アフリカから会場を移しました。新しい開催地は後日発表されるそうです。ダライ・ラマ法王への査証発給の拒否に対して私たちが抗議活動を行い、サミットが延期になったことを誇りに思います」と述べた。この時、会場が少しざわめいた。サミットが中止になったというニュースを聞くのはみんな初めてだったからだ。多くのメディアはこの時点では彼女の話を「要確認」事項とした。

このサミット中止は次の日になり「本当だった」ことが確認された。中国政府は南アフリカがダライ・ラマ法王のビザを発給しなかったことに対し「謝辞」まで示していた。これで、南アフリカも中国も再び世界の恥さらしとなった。

エバーディー女史はこのサミット開催に関わる法王ビザ拒否問題について、法王の盟友であるツツ司教が今回まだ非難の声を上げないことに疑念を示されていた。この発言が影響したのかどうかは分からないが、ツツ司教は次の日にこの件で政府を非難する声明を発表している。

_DSC8504_1038ジョディ・ウィリアムズ女史は熱烈なダライ・ラマとチベットのファン、と思われる発言や態度を常に示されていた。祝賀会の間も法王と親しげに談笑されていた。

_DSC8542_1042亡命政府首相のロプサン・センゲ氏はスピーチの初めに「今日は内地チベット人にとって非常に特別な日だ。彼らは日々、政治的、宗教的迫害を感じるという苦しみの中で、何か自由に関するいいニュースはないだろうかと待ちこがれている。貴方たちがここに居ることは彼らに正義、真実そして自由のメッセージを送り、それが彼らに希望とインスピレーションを与えることでしょう」と述べる。

_DSC8566_1047議会議長ペンパ・ツェリン氏は習近平に対し「チベットを含めすべての少数民族に自由を与えること」を求め、また「ノーベル平和賞受賞者である劉暁波氏を解放すること」も要求した。

_DSC8768_1066法王はスピーチの初めに、「今日の式典は大きな意味がある。今日がマハトマ・ガンジー氏の生誕日だからだ」と言われ、続けて「マハトマ・ガンジー氏を記念する一番良い方法は、彼の平和、非暴力そして質素な生活というメッセージに従うことだ」と語られた。

さらに「マハトマ・ガンジー氏の非暴力の闘いは当時、屈従的で効果のないものだと見なされていた。現在では彼が掲げた平和と非暴力の闘いは伝説となり、世界の人々に啓示を与えている。アメリカの市民活動家であるマーチン・ルーサー・キング牧師もガンジー氏の主義と生活態度に大きな影響を受けている」

「ガンジー流の生活と主義に従うことで日々の生活に内的平安と満足をもたらすことができる」と語られた。

_DSC8790_1068さて、「ダライ・ラマ法王、チベットへ帰るか?」の話だ。これは最近、「チベット自治区の呉英傑(ウー・インジエ)副書記は英紙タイムズの取材に答え、中国共産党とダライ・ラマ側代表との対話は順調に進んでいるとコメントした。五台山参拝を口実とした中国訪問が許可される可能性もあるという。その際、中国の国家指導者と会談し完全な帰国が許されることも考えられるという。ただしチベットが中国の一部であると認め、独立活動をやめることが条件になるともコメントしている」という記事が日本ではレコードチャイナ等から出た。

これを受けてか、10月2日にAFPの記者が法王とのインタビューでこのことを確認した。その後に出た記事によれば法王はこの時「まだ決定されたわけじゃない。そのようなアイデアがあるということだ」、交渉は「公式にまじめにというわけではなく、非公式に進められている」と答えられたという。

_DSC8862_1076この件に関しセンゲ首相は「なにも公式な話合いは持たれていない。憶測が多いようだ。この法王が五台山に巡礼に行くという話は昔からある。何百人もの中国人がダラムサラに来るが、その内の何人かは北京政府とつながりがあるという。しかし、我々はそれを確認できないことが多い。習近平は少しはましなのかも知れないが、我々には50年間の悪い経験がある」と期待は持っていないらしい。

_DSC8595_1049何よりも英語メディアがどこから間違ったのか、「法王が五台山に巡礼に行くかも知れない」という事を「法王がチベットに帰るかも知れない」と勘違いして報道していることが気になる。

また、レコードチャイナ等では「ただしチベットが中国の一部であると認め、独立活動をやめることが条件」と書かれているが、本当は「チベットと台湾が中国の一部であると認め、独立活動をやめること」が条件とされている。法王は中道を訴え独立活動などまったく行ってないわけだが、中国当局はこれを故意に認めようとしない。ここで台湾を持ち出すのはいじめであろう。

_DSC8864_1077皆さんのスピーチの後はドラマスクールと子供たちが喜びを表す歌と踊りを披露した。

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筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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