チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年9月15日
牧草地を巡る村同士の争いの後、部隊が出動し激しい暴力を振るう
かつてチベットの牧草地には移動を遮る柵は全くなく、季節に合わせ自由に移動することができた。中国当局の政策により柵ができた時点でもう「遊牧民」と呼ぶことはできなくなっている。チベットにはすでに「遊牧民」は存在しないのである。
当局がチベットの牧草地を区分けした結果の1つは、牧草地を巡るケンカの増加であった。最初は県単位で区切られていたが次第に郷単位、村単位と狭められ、今ではほとんどの地域で家族単位に区切られている。その度に牧民はヤク等の家畜の数を減らさないとやって行けなくなったという。
家族単位で区切られたことにより、割り当てられた牧草地の良し悪しや家畜数の差により貧富の差が生まれ、ちょっとした越境行為によりケンカが増えたという。これを解消するために、当局と掛合い村単位やさらに大きな単位に戻すことに成功した地区もある。しかし、村単位になった後も牧草地を巡るケンカは起こっている。これは1つには柵の設置により、以前はまったく無かった「土地所有意識」が目覚め、ちょっとした土地侵害に対しても過剰反応するようになってしまったことが深層的原因と思われる。もう1つの深層として、中国当局の暴力体質・文化に影響され、チベット人も暴力的になり易い環境があると推測される。
9月12日付けRFAによれば、最近、アムド、レプコン(青海省黄南チベット族自治州同仁)で牧草地を巡り村同士が大規模なケンカを起こし、1人が死亡。その後当局が部隊を派遣し大勢のチベット人が拘束され、激しい暴力により負傷者が多数発生したという。当局の移動規制により「重傷者を病院に運ぶこともできない」と地元のチベット人は訴えている。負傷者を大きな病院に運ぶためには村長と郷長の許可を得る必要があるという。
8月10日と11日の2日間、レプコン地区にある9つの牧民部落が集まるナルン村と5つの部落が集まるクルデ村が大規模なケンカを行った。事の始まりは、8月10日にクルデ村の2人の牧民がナルン村と共有地になっている牧草地に家畜を移動させたことからであるという。
これを知ったナルン村の若者たちが「彼らを追い出すために現場に向かった。クンデ村の2人が移動することを拒否すると、ナルン村の若者たちが2人を殴り倒した」という。次の日、クンデ村の村人たちは石とナイフを手にし、ナルン村に向かった。途中2つの僧院近くを通過する時、僧院のラマや僧侶が彼らを説得したが、彼らは聞き入れなかった。ナルン村で衝突が起こり双方に大勢のけが人がでた。そして、ナルン村の1人が死亡した。
12日、大規模な部隊がクルデ村に現れ、村人を拘束し始めた。多くの若者は山に逃げたが、逃遅れた57人が拘束された。部隊は逃げた若者たちに対し「降伏せよ。罪を認めれば罰せられることはない」と広言した。しかし「彼らが村に戻ると、約束は守られず、酷い暴力を受け拘束された」と村人は報告する。
「地域の住民が集められ、警告の目的で拘束されたものたちは彼らの前で引き回された」という。また、部隊の暴力により負傷したものたちは重傷者を含め誰も病院に運ばれることなく、全く治療を受けることができない」と伝えられる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)