チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年4月24日
焼身者の母親に金をちらつかせ嘘の証言を強要
今月15日に、カム、タウでティンレー・ナムギェル(32)が焼身抗議を行い、死亡した後、当局は彼の母親や兄を何度も呼び出し、焼身の動機に関する「当局の用意した書面」にサインを強要した。「サインしたら金をやろう」と持ちかけたとも言われる。
4月23日付けRFAによれば、4月15日にティンレー・ナムギェルがタウのカンサル郷で焼身した後、遺体はまずチベット人たちによりゴンタル僧院に運び込まれ、その後家族が遺体を引き取った。すぐに部隊が家族の下に現れ、尋問した後、家を包囲した。そして、家族にはできるだけ早く葬儀を行うよう命令した。葬儀は17日に地元で行われたという。
その日のうちに焼身の写真を流したとして連行されたリクチュンは最初ティンレー・ナムギェルの弟と言われていたが、その後従兄弟と判明した。彼は2日後に一旦解放されたが、その後再び拘束されたという。
タウの警察はティンレー・ナムギェルの母親(父親はすでに他界)であるペルラをこれまでに2度タウの警察署に呼び出し尋問を行ったという。
「写真を撮られるときに、母親はそれを拒否した」とある現地の人が伝える。また、警官の「なぜ息子は焼身したのか?」との問いに対し、母親は「チベットのために焼身したのだ」と答えたという。
これに対し、警察側は「他の言い方にしたほうがいい」と提案し、「もしも、警察側が用意するティンレー・ナムギェルの焼身の動機に関する書面にサインするなら金渡す用意もあるが」と脅しながら言ったという。
同様にティンレーの実兄であるジャミヤン・ツェペルもタウの警察に何度も呼び出され、焼身の理由を聞かれた。これに対し兄も「チベットの自由のために焼身したのだ」といい、「自分たちの家に経済的困難はなにもない。焼身したティンレー・ナムギェルは家の末っ子で家族から寵愛を受けて育った。彼は普段からチベット人の運命に対し関心が強く、常に政府の弾圧が厳しく、チベット人に自由がなく、すべて管理されていると言っていた」とはっきり答えたという。
焼身事件後、カンサル郷には大勢の部隊が現れ、厳戒態勢が引かれている。電話やネットが遮断され、ゴンタル僧院は包囲され、僧院の高僧であるトゥルク・ジグメ・テンジンは当局から警告と脅迫を受けたという。また、ティンレーの家族の家の周りに住むチベット人たちにも警察が何度も尋問に訪れ、暴力も振るわれているという。
従兄弟のリクチュンと共に焼身を目撃し遺体を僧院まで届けたという他の2人の僧侶は、当局の呼び出しを受け山に逃亡したという。彼らの家族も厳しい尋問を受けたと伝えられる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)