チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年1月27日
チャムドで連帯腕章をつけていたとして数百人拘束される
チャムド地区で中国国旗を強制的に掲揚させられた僧院(写真RFAより)。
1月24日付けRFAによれば、チベット自治区チャムド地区の警察は最近、緊張が続くカルマ郷で「(チベット人)連帯腕章」をつけていたとして約480人のチベット人を拘束した。
現地からRFAに伝えられたところによれば、ことの始まりは「1月2日の午前2時頃、カルマ郷で木材を運ぶトラックが検問で止められ、乗っていた運転手を含む3人が『連帯腕章』をつけ、されにフロントに中国で禁止されている(ダライ・ラマ法王が認定した)パンチェン・ラマ11世の写真が飾られていたとして、その場で彼ら3人が拘束された」ことからという。
その2日後、13台の車に分乗した約50人の警官が、カルマ郷のダムトック村とツァラ村に現れた。「警官たちは村の家々に押し入り、『連帯腕章』を着けていた約480人を拘束し、カルマ郷に連行した。そこで、拘束された村人たちはひどい扱いを受けた」と報告される。その他の詳細は未だ伝わっておらず、彼らの現在の状況や解放されたものがいるのか等については不明のままである。
禁止される写真
拉致されたパンチェン・ラマ11世、幼少時の写真(初出)。コロンビア大学教授ロビー・バーネットが最近ネット上に発表したもの。
特にチベット自治区では、ダライ・ラマ法王の写真は厳しく規制され、これを僧院や家に飾ったり、携帯の中に保持していることが当局に見つかれば、逮捕される可能性が高い。
ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チュキ・ニマは1995年、6歳の時、家族ともども当局に拉致され、その後現在に至るまで消息は途絶えたままである。
これに代わり中国政府は共産党員の息子ゲルツェン・ノルブをパンチェン・ラマ11世と認定し、宗教的・政治的権威を与え、チベット人たちに彼への敬意を強いている。しかし、ほとんどのチベット人は中国側が選んだパンチェン・ラマは偽物であるという。ダライ・ラマ法王の写真と同様、チベット人が本物と認め崇めるゲンドゥン・チュキ・ニマの写真も保持が禁止されている。
連帯腕章
「連帯腕章」とは一体どのようなものなのか?このようなものの存在を耳にするのははじめてであり、写真もないのでこれは今のところ想像するしかない。それにしても、デモや集会を開いていたわけでもない時に、2つの村で480人ものチベット人がこのような腕章をつけていたというのは想像し難い。
カルマ郷は爆弾事件の後、カルマ僧院を中心に厳しい弾圧を受け、焼身抗議者もでている。当局はこの地区で重点的に愛国再教育を行い、住民たちの政治信条をチェックし、共産党への忠誠を強いている。それだけに、住民はこれに反発し、チベット人としてのアイデンティティーを守り、団結を訴える運動も行われていると思われる。
もっとも現地からは「民族の団結を表明することは犯罪ではない。中国の憲法で保証されていることだ」との声も聞かれるという。
余談であるが、今回、拘束の原因となった、この「連帯腕章」について、ある人は「ひょっとしてこれはラマに会ったり、灌頂を受けた後にラマから渡される、お守りともなる赤い紐のことではなかろうか?」という。この「スンドゥ」と呼ばれる赤い紐は一般に腕に巻かれるからである。この純粋に宗教的な意味を持つ赤い紐が、当局により「チベット人連帯を訴える腕章」と意図的に断定された、という可能性もないとはいえないわけである。
何れにせよ、ダライ・ラマ法王もおっしゃるように、「チベット人をこれほどまでに勇敢な人々に育てたのは中国共産党である」。植民地主義的同化政策によりチベット人の文化を破壊し、人権抑圧を強化すればするほど、危機感を感じたチベット人たちが自らのアイデンティティーと尊厳を守るために、危険を犯してまでも民族の団結を訴えるということは自然の成り行きであろう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)