チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月17日
ダライラマ法王が北京に!? アバ地震
左の写真は日本にいらっしゃるH女史が送って下さった、震源地付近四姑娘山、日隆鎮の街並みです。
今日友人のブログを開けると、
「来月にはダライラマ法王と北京の公式対話が行われる予定」
とあった。
【ボーフム(ドイツ西部)=森千春】ドイツ訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は15日、独公共放送ZDFのインタビューで、「来月、(中国政府との)公式対話が行われる」と述べた。
がソースのようですが、、、
これについては以下のパユールに関連記事があります。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21253&article=Dalai+Lama+plays+down+China+Olympics+report
私はこれについては二日前に情報省のスポークスマンであるサンペル氏に会い確認済みと思ってました。このことは短く2日前にお伝えしました。
つまり、台湾にいるチベット亡命政府議会の議員の一人ケドゥップ ドゥンドゥップ氏が最近になり突然、「実は2週間前に中国の高官から法王をオリンピックに招待したいとの打診があった」と洩らしたとか。
情報省も本気の話とは取ってないようでした。
一応考慮中とは言ってましたが。
パユールが伝えるところを読んも法王が対談のため北京に行くとは、全く言ってないようです。
16日付けのダライラマ・ドット・コム
http://www.dalailama.com/news.250.htmにもその話のことには一切触れられてません。
実は先ほど、念のための思いサンペル氏に電話しました。
「いったいどこのソースがそんなこと言ってるのかな?もしほんとなら結構な話だね。自分たちは何も聞いてない」
とのことでした。
つまりこれについては何かの伝え間違いのように思います。
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先ほど少しだけですがRFA(ラジオ自由アジア)の放送の中で、アバからの電話が流れました、しかしまるっきりのアバホ語でちんぷんかんぷん。そのあとの説明はあまりに短く情報は少しでだけしか有りませんでした。
「アバのルング(ぶん川)が一番ひどい。
そこにはチベット人もたくさん居たはずだ。
特に良い学校があるのでチベット人の子供たちが送られたりしてた。
商売のためにいるチベット人も多かった。
中国人もたくさんいる大きな町だ。
中心街には中国人が多い。
チベット人は山間部に散らばってる。
そこから奥の方にはチベットじんが多いが幹線沿いには最近どんどん中国人が入って来ている。
タシリン(中国語リーチェン)寺が崩壊した。
他にもたくさんの僧院やら民家が倒壊した。
良かったのは時間が午後2時過ぎだったので、チベット人の多くは外で農作業やら牧畜をしてた。
彼らは助かっただろう。でも家に残っていた老人たちはたくさん死んだことだろう。」
この電話の本人は被災地にいた人ではないらしい、電話で各地の情報を集めてるとのこと、自分のところアバ町は大丈夫とのことでした。
カルゼの軍隊はこんな緊急時でも東に急行してチベット人を助けるのではなくて、デモを鎮圧しチベット人に圧力をかけ続けるためにそこに居続けているとか。
その一方で共同通信の伝えるところでは、
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080515/dst0805151908011-n1.htm
「中国・四川大地震を受け、チベット自治区やチベット仏教を含む宗教関係者の間で被災者への支援を募る動きが広がっている。中国当局はこうした動きを積極的に宣伝することで「民族や宗教を超えた助け合い」(中国紙記者)をアピール、3月のチベット暴動で亀裂が深まった民族間の融和を図りたい考えだ。
とか例の中国プロパガンダ通信社の<中国情報局>は
チベット自治区のラサでは3月14日の騒乱後、「分裂反対、安定維持、発展促進」をテーマにした教育活動が盛んに行われている。
ラサ市の徳慶郷邱桑村では14日、共産党員らが自身の経験に基づく“真実の見分け方”や、“ダライ集団の本質を見極め、社会の秩序を維持することの大切さ”などを語り、「今日の得がたき幸福を大切にしよう」と訴えた。写真はドキュメントフィルム「3・14ラサ事件の真相」を見る村民。(CNSPHOTO)
基本的人権の明らかな侵害である<愛国再教育><ダライラマ踏み絵>のことを中国はこのように讃えるらしい。
チベット自治区のラサでは3月14日の騒乱後、「分裂反対、安定維持、発展促進」をテーマにした教育活動が盛んに行われている。
ラサ市の徳慶郷邱桑村では14日、共産党員らが自身の経験に基づく“真実の見分け方”や、“ダライ集団の本質を見極め、社会の秩序を維持することの大切さ”などを語り、「今日の得がたき幸福を大切にしよう」と訴えた。写真はドキュメントフィルム「3・14ラサ事件の真相」を見る村民。(CNSPHOTO)
強制的に人を殺す二階建の家に住まされることもなく、そのままテント生活をしていたならばチベット人の多くは助かっていたことだろう。
テントは地震に断然強い!
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)