チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年8月8日
<続報>幼い2人の子を残し焼身・死亡したドルカル・キ
ドルカル・キは人がチベットの状況を語るのを聞いたり、ラジオなどで法王の話が出るといつもすぐに涙を流していたという。
他の写真は昨夕、ダラムサラで行われたヴィジルより。
昨日アムド、ツォェで焼身、死亡したドルカル・キについてその後様々な情報が現地から入っている。それらをまとめてお伝えする。ただし、情報は未だ錯綜ぎみである。
まず、彼女の名前であるが、ドルカル・キと報じるメディアとドルカル・ツォと報じるメディアに別れる。出身地や現住所に付いても一定しない。夫の名前はサンゲ・ドゥンドゥップといい、幼い子供2人がいた。2人の子供についてTibet Timesは5歳になる女の子ベンテ・ツォと2歳の男の子ユルギェルと言う。ICT(International Campaign for Tibet)は4歳の男の子と2歳の女の子と言う。何れにせよ、幼い子供2人を残したということは確かのようだ。家は農家であった。
焼身の経緯について、RFAが現場にいたチベット人の報告として伝えるところによれば、彼女はツォェ僧院の仏塔の傍でチベット服を脱いで裸になり焼身したという。炎の中から、「法王をチベットに!チベットに自由を!」と大きな声で叫んだ。炎が上がるのを見、叫びを聞いた右繞中の年寄りたちは直ぐに彼女の火を消そうとしたが、その時、彼女は「死なせてくれ、火を消さないでくれ」と言ったそうだ。それでも、チベット人たちは彼女を助けようと火を消した。駆けつけた僧院の僧侶に対し「生きたまま中国に捕まえられたくない。石で私の頭を割って殺してくれ」と懇願したという。
僧侶たちは彼女を僧院に運んだ。家族が現れ、「僧院に置いておくと僧院が危ないことになる。だから、彼女を家に引き取りたい」と言ったので、僧侶たちは彼女を家族に託した。しかし、家に着く前に死亡したという。この部分をICTは「僧侶たちは彼女を病院に運んだ。しかし、手当の甲斐なく病院で死亡した。その後、僧侶たちが彼女の遺体を家族の下に送った」としている。
また、焼身前の彼女の足取りについて、RFAは「前日、彼女は夫と共に僧院を訪れた。その夜は家に帰らず、両親がいる彼女の実家に泊まった。焼身の日の朝、再び彼女は(夫と一緒であったかどうか書かれていない)僧院を訪れ、本堂や各お堂、護法堂等を全て巡った」という。一方ICTは「2日前に彼女は夫と共に僧院を訪れ、丁寧に全てのお堂を巡る姿が目撃されている。その後、彼女たちは家に帰らず彼女の実家に向かった」としている。
焼身当日の彼女の行動に関わる描写として日本の共同通信は今日付けの産経ネットの中>http://sankei.jp.msn.com/world/news/120808/chn12080814220004-n1.htm「同ラジオは、市内の寺院にいた女性を家族が連れて帰ろうとしたところ、女性がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の帰還などを叫んで火を付けたとしている。これに対し新華社は、夫の家族との対立から女性が自殺したと報じた。(共同)」と書いている。ここでいう「同ラジオ」とはRFAのことであるが、私が調べた範囲では「市内の寺院にいた女性を家族が連れて帰ろうとした」という事実をRFAが報じてはいない。当日の朝、彼女が夫と共に僧院を訪問していたとすれば、この話もあり得ると思われるが、それにしても「連れて帰ろうとしたところ、、、、、火を付けた」と繋げて書くのは如何なものか?と思ってしまう。まるで、次の新華社説である「夫の家族との対立から女性が自殺した」を裏付ける状況証拠のように読まれる可能性がある。共同さんが新華社説を信じているとは思えないのだが。
中国国営の新華社が彼女の焼身を報じ「夫の家族との不和が原因とする当局の発表を伝えた」のは確かである。中国当局は常に政治的行動である焼身抗議を個人的自殺と思わせたいのである。彼女の悲痛な最後の叫びはこのようなねつ造と共に全く無視され続ける。
昨日の時点で、彼女の焼身を知った地元のチベット人が大勢僧院に集まりつつあること、また僧院で彼女の追悼法要が営まれているということが伝えられていた。今日Tibet Timesが報じるところによれば、昨夜10時頃僧院に大勢の警官隊が押し入り、僧侶3人を連行したという。(追記:その内1人は翌日解放された)。今朝5時頃、再び10台の警察車両に分乗した警官が僧院に現れ17人の僧侶を連行しようとした。この際、僧侶と俗人チベット人たちがこれを阻んだ。僧侶とチベット人はこれ以上僧侶を連行させず、拘束された僧侶たちを解放させるために蜂起する姿勢を見せており、緊張が高まっているという。
参照:7日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/burn-08072012101822.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/Tibetan-mother-in-her-twenties-dies-after-self-immolation-today-08072012143053.html
7日付けICTリリースhttp://www.savetibet.org/media-center/ict-news-reports/tibetan-mother-in-her-twenties-dies-after-self-immolation-today
8日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6416
追加写真(VOT中文記事http://www.vot.org/?p=14788より);ツォェの焼身を知ったラプラン・タシキル僧院僧侶たち約300人が、公道を塞ぐように路上に座り込み、彼女の冥福を祈っているところ。ツォェに近いラプランの僧侶たちは焼身を知ってツォェに駆けつけようとしたが、当局はこれを阻止し、「ツォェに行くのは法律違反だ。僧院の全ての車を奪うぞ」と言った。僧侶たちは「歩いても行く」と固執した。そこで当局はツォェに通じる道を封鎖したという。
ラプラン(夏河)で警戒にあたる武装警官隊等。
この路上追悼会に他の僧侶や一般市民も大勢合流しはじめ、緊張が高まっているという。
この路上集会等を伝えるビデオが先ほどYoutubeにアップされた。(横になっていて見にくいが)>http://www.youtube.com/watch?v=fevj6CQAYyE&feature=player_embedded
追加写真2(9日):ツォェに向かう事を阻止され、路上で抗議するラプラン・タシキル僧院僧侶たち。
路上でドルカル・キのために祈るラプラン・タシキルの僧侶たち。
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6日にンガバで焼身した僧ロプサン・ツルティムが同日夜、バルカムの病院に収容された後死亡したとダラムサラ・キルティ僧院が今日報じた。家族は遺体の引き渡しを要求したが、当局はこれを拒否。直ちに火葬し、遺灰だけを家族に渡した。
彼は遺書を残していたというが、未だ内容は伝わっていない。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)