チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年1月30日
アムド、ゴロ、ペマ県で抗議デモ頻発
アムド、ゴロ(青海省果洛チベット族自治州)ペマ・ゾン(班瑪県)では隣の県ダルラで1月8日にソバ・リンポチェが焼身抗議を行い死亡した後、中国政府に対する抗議活動が連続して行われている。これを以下まとめてお伝えする。
元情報のほとんどはTibet Express http://p.tl/UWwbより。
15日にはソバ・リンポチェの葬儀が行われたが、これを当局が妨害したことに抗議し、同日ペマ・ゾンで3回に渡り500人程が参加する抗議デモが行われた。<これは17日に報告済み。
18日の11時半頃、アキョン・チョナン僧院(ཨ་སྐྱོང་ཇོ་ནང་དགོན་པ་)の僧侶20人がペマの街中で抗議デモを行った。この時僧侶たちはダライ・ラマ法王の写真、仏教徒の旗を掲げ、3枚の大きな横断幕を広げ行進した。その内の一つには「我々には自由が必要だ」と書かれ、もう一つには「平和の先導者(ダライ・ラマ法王)をチベットにお招きする自由が必要だ」と、最後の一枚には「パンチェン・リンポチェを初めとする全ての政治犯は解放されるべきだ」と書かれていた。
彼らが街の脇道から出て県庁舎の前に来た時、そこには丁度同じペマ県のチャクリ地区のドゥガン僧院(འབྲུས་སྒང་དགོན་པ་)僧侶6人が抗議デモを行っているところにはち合わせた。彼ら6人もダライ・ラマ法王の写真を掲げ、それぞれの額には「チベット独立」と書かれた鉢巻きが巻かれていた。2つのグループは合流し、街の中央広場を3周した後、広場の中央にセメントで作られた大きな8葉の蓮華(街の名前である<ペマ>とは蓮華の意)の上に写真と旗、横断幕を掛け、抗議デモを終えた。その日には警官たちは彼らの写真やビデオを撮っただけでその場で逮捕するということはしなかった。
次の19日、県の職員がアキョン・チョナン僧院にやって来て、前日にデモを行った僧侶たちを引き渡すよう要求した。従わない場合には僧院を閉鎖し、僧侶全員を逮捕すると脅した。僧侶たちはこれを聞き入れず、僧侶たちを引き渡す事を拒否した。
20日には、アキョン・チョナン僧院に武装警官隊と軍隊が僧侶逮捕と僧院閉鎖のため大勢現れた。しかし、この時、そうはさせまいとアキョン地区のチベット人700人程が集まり、これを阻止した。隊は目的を果たせず引き上げたという。
21日には、ドゥガン僧院とアキョン・チョナン僧院で「愛国再教育」を始めようと役人が集まったが、その時にはもう僧院は空でだれもいない状態となっていた。24日現在、デモを行った僧侶たちは山に逃げているという。
24日にはペマ県バンル地区の俗人6人がダライ・ラマ法王の写真を掲げ抗議デモを行った。すぐに、武装警官隊と軍隊が大勢駆けつけ、彼らを逮捕した。この時6人に対し酷い暴行を加えるのを見て、周りのチベット人たちが集まり彼らを取り返そうとした。しかし、彼らもまた酷く撲打され、さらにその内の6人が逮捕された。逮捕された者の内数人は重体という。
25日にはタクガル地区の住民もデモを行ったと言うが、これは詳細不明である。
その他、24日付けTibet Times http://p.tl/7nDqによれば、同じく24日にはペマの街中で一団のチベット人が抗議デモを行い数人が一時的に拘束されたという。
すでに27日付けの当ブログでお伝えしたが、26日にもペマでデモがあり、中国国旗が降ろされ、焼かれ、代わりに仏教の旗と法王の写真が掲げられたという。大勢の部隊が現れ、逮捕者が出ている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)