チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年11月30日
ウーセル・ブログ「僧尼12人の焼身抗議に向き合って……」
原文:29日付けブログhttp://p.tl/bQEN
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
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◎「僧尼12人の焼身抗議に向き合って……」
文/ウーセル
「チベット人の焼身抗議は何の効果も無いのでは。どう思いますか」。あるフランスの記者が冷静に質問してきた。私は心に刺すような痛みを感じ、かろうじて涙をこらえながら答えた。「きっと効果は無いでしょう。でも人には尊厳があります。焼身抗議したチベット人が求めていたのは民族の尊厳なのです……」
焼身抗議の件で初めて取材を受けた時、私は感情をコントロールできなかったが、記者は当然このように問い詰めてきた。
ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)で1963年、「仏教と民衆の権利を守るため」に高僧が焼身抗議し、何人もの僧尼が後に続いた。もし記者ですらこのことを知らないとすれば、12人ものチベット人が焼身抗議を起こしたことを国際社会や市民に理解してもらえるだろうか?無理解の広まりにはとても不安を覚える。
実際、仏教徒であれ他宗教の信徒であれ、歴史上大きな災難が降りかかる時、自分の身を犠牲にしようという殉教者が常に現れている。近現代の中国でも同じだ。辛亥革命では、清朝の軍隊による攻撃を止めさせるため、武漢の帰元寺の僧侶が焼身抗議で殉教した。西安の法門寺の僧侶は文化大革命初期、紅衛兵による寺院破壊を止めさせるために焼身抗議し、塔を守った。
記者はまた、「なぜ若いチベット人ばかりが焼身抗議するのですか?」とも聞いてきた。これは多くの人に共通する疑問だろう。しかし、私は言いたい。若さは軽率や盲従を意味するとでも言うのか?フランスの聖女ジャンヌ・ダルクも若かったのではないのか?農家の少女がフランス軍を率いてイギリス軍と戦った。火刑を受けた時、彼女はまだ19歳だった。それでもフランス人には「自由の女神」として語り継がれている。
ツイッターである人が書いていた。「エジプトの独裁者ムバラクが退陣した時、大量のニュースのうち最も感動的だったのは50、60歳の父親の話だ。『私の世代の人間が永遠に見ることがないと思っていた民主化を子どもたちが実現した。子どもたちが希望と夢を与えてくれた。人生をもう1回生き直そう』。もちろん中国はまだ民主化していない。圧迫を受けるチベット人は燃え盛る炎の中、命がけで『チベットに自由を』『ダライ・ラマの帰還を』と叫んでいる」
少なからぬ人たちはまだチベット人の焼身抗議を自殺とみなしている。これは完全におとしめた見方だ。高僧ゲシェ・チャンパ・ギャツォ(台湾の「ダライ・ラマ チベット宗教基金会」初代仏法教師)も明らかにしている。「チベット人僧俗の焼身抗議は仏教の不殺生の教義に全く反していない。仏法の見解にも反していないし、戒律に背いてもいない。焼身抗議の動機と目的は私利私欲に染まっておらず(中略)仏法を守るため、チベット民族の民主と自由を勝ち取るため」であり、根本的に「利他のために自らを投げ打った菩薩行」だ。
1989年の民主化運動で学生リーダーを務めたウルケシ(ウアルカイシ)の言葉を必ず、そう必ず引用しなければならない。尼僧パルデン・チュツォの焼身抗議映像が公表された夜、ツイッター上に連続して書かれた言葉だ。
「チベット人僧俗12人の自殺に向き合い、どうか合掌し、敬意を抱き、反省し、道徳意識を新たにしてほしい。これはパソコンの前で簡単にできることだ。これこそが深い苦しみを受けた命に向きあうたった一つの正しい態度だ」
「僧尼の焼身抗議は多くの人たちを震撼させている。震撼の次に激しい憤りを覚えるが、私はまず失われた命に敬意と悲しみを抱くよう呼びかけたい。これこそが人間性であり、共産党の中国で私たちがゆっくりと失ってきたものだ」
「僧尼12人の焼身抗議に向き合っても嘆かず、反省せず、敬意を抱かない民族は道徳をひどくねじ曲げて失ってしまった民族だ!」
「この僧尼12人の死に直面すれば、客観的な態度や冷静さ、知恵なんて全て冷酷に見える!」
そしてウルケシの次の問いは、別の意味において焼身抗議を「無用」とする答えになっている。「強大な大英帝国に対してインド独立運動は成功を収めた。聖者ガンジーの唱えた非暴力不服従の抵抗運動がイギリス人の誇る道徳的優位を徹底的に揺るがし、打ち砕いたからだ!イギリスの誇るものが道徳的優位だったからだ!僧尼12人の焼身抗議は中国人の良心を揺さぶることができるだろうか?」
これについて私に言えることは無い。
2011年11月23日
(初出はRFA)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)