チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年10月25日
<速報>今日、カンゼで再び抗議の焼身自殺
追記:RFAからより詳しいレポートが出たので、追記を入れる。
亡命側に伝えられた情報によれば、今日(25日)現地時間正午頃(9時半という情報もある)、カンゼ・チベット族自治州カンゼにあるカンゼ僧院の僧侶ダワ・ツェリンが中国政府に対する抗議の焼身自殺を行った。
僧ダワ・ツェリンは父デレック、母ドムツォの子、38歳。イェパ村出身。カンゼ僧院に7年籍を置いていた。
僧院の中庭で恒例のトルマ供養(RFAによれば仮面舞踏「チャム」)が行われていた最中、大勢の僧侶や一般人が見守る中、僧ダワ・ツェリンは突然儀式が行われている輪の中に走り出て、ガソリンを被り火を付けた。
追記:RFAに南インドの僧チュギェルが伝えた報告によれば、僧ダワ・ツェリンは「焼身を実行する前に、高僧ロンダ・ラマの玉座に祈りを捧げ、焼香を行い、祈りの旗を上げた」
「その後、彼は頭から灯油を被った。近くにいた数人の服にも火が点いた」
彼は炎に包まれながら「ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットに自由を!民族平等!」等のスローガンを叫んだという。
周りにいたチベット人は驚き、すぐに火を消そうとしたが、火勢が強く彼が倒れるまで火を消すことができなかった。
その後、僧侶たちが彼を病院に運び込んだという。
追記:RFA「仲間の僧侶たちにより火は消され、彼は僧院の車でカンゼ人民病院に、急ぎ運び込まれた。僧院に駐在していた数人の警官が後を負い病院に向かった。その後、武装警官隊が呼ばれ地域は閉鎖された」
カンゼ僧院の僧侶の話によれば、ダワ・ツェリンは治療を拒否したという。
「彼の頭、首、鼻はすべてひどく焼けただれていた。皮膚ははがれていた。彼は治療を拒み、僧侶に死なせてくれと言った」
チュギェルによれば、ダワ・ツェリンは病院で包帯を巻かれた後、カンゼ僧院に戻されたという。
「病院では包帯を巻かれたが、病院側から生きる望みはないと言われた。そこで僧侶たちは彼を僧院に連れ帰った」
以上の情報(RFA以外)を伝えたのは元亡命議会議員ペリ・ジグメ・ワンギェルであるが、もう1人の情報伝達者南インド、セラ・ジェ僧院の僧ロプサン・ダクパによれば、火を消したのは僧院に2008年以降常住している保安要員であるという。
彼によれば、僧ダワ・ツェリンは保安員が連れ去ろうとした時、「どこへも連れて行かないでくれ」と泣いて懇願したという。
また、病院に運び込まれた後にも彼は治療を一切拒否したので、再び僧院に運び込まれたという。
現在の容態は不明。
事件後、僧院は武装警官隊に包囲された。
今年に入り抗議の焼身を行ったチベット人はこれで10人となる。今月に入り6人目。
議員のババ・ケルサン・ギェルツェンがンガバからの情報を伝えるところに依れば、21~22日に掛けンガバに中国語で書かれたチラシが張り出された。その中には「このような状況が続くなら、さらに40人のチベット人が命を捧げる用意がある」と書かれていたという。
参照:25日付けTibet Net チベット語版 http://tibet.net/tb/2011/10/25/དཀར་མཛེས་དགོན་པའི་དགེ་/
25日付け Tibet Times チベット語版 http://p.tl/vywV
25日付 phayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=30231&article=Fire+spreads+in+Tibet+–+Monk+self+immolates+in+Kardze
VOTチベット語放送 http://www.vot.org/#
25日付けRFA英語版http://p.tl/rF1b
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)