チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年10月20日
AFPレポーターがンガバ潜入取材「チベット人僧侶が抗議し、中国の街が包囲される」
10月17日にAFPレポーターがンガバで目撃した消火器をそばに置く武装警官(写真はすべてAFPより)
ンガバで尼僧テンジン・ワンモが焼身自殺したその数時間後にAFPのレポーター2人がンガバへの潜入に成功し、記事を発表した。彼らはカメラを押収され、武装警官隊や軍隊が映った写真を削除されたという。しかしきっと復元ソフトを使い写真を復活したと思われる。以下、貴重な外人レポーターによる記事(
の翻訳)と写真である。
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19日付け:By Robert Saiget (AFP) http://p.tl/n2FJ
ンガバ、中国:自動小銃と鉄の棍棒で完全武装した警官が、南西中国にある巨大なチベット僧院の外に立っている。連続する仏教僧侶による焼身自殺の現場である。
チベット仏教のもっとも重要な僧院の1つであるキルティ僧院内の住民は、若い僧侶が3月に焼身自殺し死亡した後、このような包囲状態の下に暮らしている。
人権団体によれば、それ以来、この小さなンガバの街にある僧院で5人の僧侶が焼身自殺したという。劇的抗議の高まりの中、さらに今週、初めて女性が焼身自殺を行った。
月曜日、尼僧テンジン・ワンモの死の数時間後に2人のAFP記者が禁断の四川省の街に奇しくも入る事ができた。チベット高原の高み、その数世紀前の仏教僧院で有名な地に。
人権団体は四川省とその周辺において、すでに9人の僧侶と尼僧が焼身自殺したという。ンガバの街とキルティ僧院はチベット文化侵害に対する怒りの積み重ねからくる発火点となっている。
防護盾と鉄の棍棒で武装した警官たちが街の通りに列を組んで並んでいる。街の人口は約2万人、そのほとんどはチベット族である。彼らは自分たちの文化は中国政府により侵害されているという。
迷彩服を着、自動小銃、スパイク付きの鉄製棍棒そして消火器を持った軍隊の大きなグループと、警察のバス、トラックや装甲兵員輸送車が道路を閉鎖している。
ンガバの道筋の商店や飲食店は営業し続け、人々は日常の商業活動を行っているように見える。しかし、警官は街を出入りするすべての車両を検問しており、車は徐行しながら進んでいる。
AFPのレポーターはキルティ僧院の中に入ることはできなかったが、中には赤い衣を着た僧侶が行き来し、外には(武装)警官隊の大きなグループが駐屯しているのを目撃した。
キャンペーングループであるFree Tibet とthe International Campaign for Tibet (ICT)はかつてこの僧院には2000人以上の僧侶が暮らしていたが、いまではその数は1000人にも満たないほどに減少しているという。
彼ら(キャンペーングループ)はこの数ヶ月の間に何百人もの僧侶が僧院を離れ、その中のある者たちは当局により「愛国再教育」を受けるために連れ去られたという。そして最近連続する焼身自殺は彼らの絶望的感情の現れであるという。
中国にいる多くのチベット人たちは、この国の多数派である漢族による支配が益々強まることを見て怒りを感じている。
この地域に対する最も激しい弾圧は若いキルティ僧院僧侶プンツォクが3月に焼身自殺し死亡した後に始まった。2008年3月ラサで勃発した、20年間でもっとも血なまぐさい、反中国暴動の3周年記念日に彼は焼身自殺した。
彼の死はンガバとンガバ県として知られるその周辺地区における大きな抗議活動を誘発した。
先月中国はプンツォの焼身自殺を手助けしたとして3人の僧侶を10年から13年の刑に処した。このことは国際的非難を浴びた。
それ以来この街に入った外国人ジャーナリストは皆無に等しい。今回AFPレポーターは警官に一時拘束された。警官はカメラ一台を押収し、警官と軍隊が映っている写真を削除した。
「風景写真はいくら撮ってもいいが、このような写真は撮ってはならない」と一人の警官が言った。「もう立ち去ってもいいが、ンガバ県を出るまでは立ち止まってはならないぞ」
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)