チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月25日
パンチェンリンポチェを救え!
今日はパンチェンラマ11世のお誕生日ということで、<消えてしまってもう13年>と書かれた黄色い鉢巻が配られ、みんながこの黄色い鉢巻をしている。レストランに来る外人や日本人もしてる。鉢巻だけで、こんなちょっと変な雰囲気が出来上がるんだな、、、と感心したり。
今日のキャンドルビジルと集会のテーマはもちろんパンチェンラマを解放せよ!だ。
少し詳しい事情は
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080425.htmlをご覧ください。今日訳す時間はなさそうなので英語で読んでください。
先ほどの続きを書く前に、
上記のTCHRDの記事の最後にこれまでのパンチェンラマ11世疾走の経緯がまとめられていたので、取りあえずその部分だけ訳します。
1995年5月14日 ダライラマ法王は当時6歳であったゲンドゥン チュキ ニマをパンチェン ラマ10世の生まれ変わりと発表した。
それから三日後ゲンドゥン チュキ ニマとその家族は消え去り、現在に至るまで消息は不明のままだ。
1995年5月24日 中国政府はこの件についての「ダライラマの発表は無効、違法なものだ」との声明を出した。
その後中国政府は別の子供をこれが<本物の活仏>と宣言した。
宗教を否定する政府の、前代未聞の不思議で陳腐な宣言。
1995年5月14日、パンチェンリンポチェの座であるタシルンポ僧院の元僧院長チャデル リンポチェ、11世捜索隊を組織した高僧、およびそのアシスタントであったチャンパ チュンダの三人は成都空港で拉致された。
1997年4月21日 シガツェ中級人民法廷は<祖国分断を企て、国家機密を漏えいした>としてチャデル リンポチェに6年の刑期を言い渡した。
リンポチェはダライラマのパンチェンラマ11世捜索を手助けしたことで獄につながれた。2001年5月13日をもってリンポチェの刑期は終了したはずではあるが、現在どこにいらっしゃるのか?健康状態は?等の情報は皆無である。
以上。
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昨日ニューヨークで発表された、ダライラマ法王の<中国の法友へのアピール>
を以下で読むことができます。
http://www.dalailama.com/news.244.htm
今日の停電は長い!
もうバッテリーが尽きるので一旦終わります。
今日はニュースが多すぎて追い付きません。
誰か訳してほしい!
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)