チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月4日
昨日のウーセル・ブログ「チベットへの移民と政府の政策は無関係か?」
ウーセルさんは昨日のブログで米上院外交委員会が、ラサを訪問した後発表した報告書に対し一定の評価を与えながらも、そのナイーブさを指摘している。
報告書では当局の監視を受けずに「ラサを歩き回り、都市生活を観察し、住民や旅行者と会話」できたと書かれている事に対し、これは「当局による大芝居に引っ掛かっているだけだ」とする。また、「チベットへの中国人の移民も当局の意図的政策ではなく、中国経済の発展戦略の副産物である」とする意見に対し、「実際には移民に対し様々な優遇策が実施されている」ことを具体的に示している。
原文:http://p.tl/F8_f
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
写真説明:
1枚目……米上院外交委員会のサイトhttp://p.tl/BSKr
2、3枚目……ラサ新聞網と中国西蔵新聞網の関連ページhttp://p.tl/P-F9 http://p.tl/Bfyt
記事中で話題にしているアメリカ上院の報告書:http://p.tl/2rtA
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ウツァン、アムドなどのチベット地域を昨年9月に訪問した米上院外交委員会職員代表団の報告書が最近になって公表され、中国語に翻訳された。代表団とコンタクトを取ったことのある者として、私は自然と報告書に注目し、チベット人と討論もした。総じて言えば、中国側官吏が同行する12日間の駆け足訪問で、この多岐にわたる報告書が最終的に出来上がったことは間違いなく価値がある。
しかし、「代表団メンバーは毎日朝晩、同行者のいない時間を何時間か持ち」、「ラサを歩き回り、都市生活を観察し、住民や旅行者と会話」できたという記述にまず言いたい。私から見ると、あまりにも都合よく考え過ぎている。
昨年ラサに2回戻って計4カ月暮らし、街頭で演じられる大芝居をよく目にした。例えばある日、まちにあふれる軍と警察の見張りが突然消え去り、旧市街のパトロールはすべて黄色い運動着かジーンズ姿などに変わった。屋上の特殊警察も少し身を隠し、縁の広い黒の帽子が隠れたり現れたりするのが見えるだけだった。西蔵電視台は翌日夜、内外の記者団がラサを訪れ、しかめ面の当局者が彼らに「真実のチベット」をぜひ報道してほしいと求めたことを報じた。
似たような大芝居は頻繁に上演されており、ラサ人はもう見慣れていて驚かない。だから、報告書で「中国が外国政府の訪問者にチベットを開くのは、チベット情勢への当局の自信を反映している」と書いている部分は、「チベット情勢の演出への当局の自信を反映している」と改めるべきだ。
したがって、報告書は多くの問題に言及してはいるが、得られている結論には疑問を持っていい。例えば移民について報告書は次のように書いている。「実際驚いたのは、漢族の移民が自発的に起きているらしいということだ。中国政府が政策決定し、下心を持ちながら他民族をチベットに送り込んだ結果ではないようだ。漢族移民がチベットで仕事をするのは、中国経済の発展戦略の副産物であり、その目的ではない」
事実、2008年3月の抗議が起きる前に、内地人の定住とチベット戸籍取得を後押しするため、チベット自治区は戸籍改革を実行している。四川や河南、陝西、甘粛などの各省から来た建設業、飲食業、自動車修理業、農業などの労働者は「二重戸籍」を持っており、民族籍を変える移民も少なくない。多くの移民は家族で移り住んでいるため、農民工学校がわざわざ設置された。実験小学校やラサ中学校
など他校でもチベット人以外の比率はとても高い。「大学入試のための移民」までも毎年いて、北京の某重点大学では、60人以上のチベット人学生のうち、半数近くが(少数民族優遇措置で入試の得点加算がある)チベット族籍で進学した非チベット人だ。
同時に、開発と発展、人材と投資の呼び込みが必要との名目で、多くの優遇政策が現れた。例えば2000年のラサ市の「人材導入に関する暫時規定」(http://p.tl/rgVC)は、「職名や科学研究費、給料、ボーナス、住宅、戸籍などで特殊な優遇政策が受けられる」と宣言している。青蔵鉄道の開通後、雑誌「鳳凰週刊」は「砲声がポタラ宮を揺るがす」(http://p.tl/LOEy)という
特集で、「チベット自治区は2006年、国内外の事業者が鉱物資源開発に参加するのを奨励する優遇政策を制定した。税や土地探し、金融、各種手続きで特別な援助を与えている」と書いた。
2009年になって登場した「ラサ経済技術開発区各項優遇政策集」(http://p.tl/OlmF)は「中央第4次チベット工作座談会の確定したチベット向け優遇政策を開発区の実際状況と結びつける」と強調し、土地や財政、税務、金融、貿易、工商行政管理などの分野で、魅力的な優遇政策を与えている。更に戸籍(農村と都市といった区別があり、受けられる社会サービスの質に影響する)の分野では、10万元以上の投資者の「本人、配偶者及び子女」で、非農業戸籍の者は定住できるとした。農業戸籍者については、チベット自治区の藍印戸籍(現地の正式な戸籍と同等の社会サービスを受けられる戸籍。手続き時のハンコが青いのでこう呼ぶ)の処理ができ、「チベットで働くか満3年住んだ後に非農業定住戸籍に変更」できる。
そのほか、例えば公務員試験ではチベット語試験を受ける必要はない。これはまさに隠れた後押しだ。タクシー運転手は北京でさえ地方保護主義を取り、現地の戸籍を必要としているのに、ラサの1300台超のタクシー運転手にチベット人は少ない。ほかにも、2008年以降、チベットの多くの企業は退役軍人枠を設けている。私がかつて働いたチベット自治区文学芸術界連合会では、この2年間に少なからぬ非専門職の退役兵を置いている。
2011年4月27日 北京にて
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)