チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年4月26日
ンガバのキルティ僧院と市民を守るモンラム(祈祷会)/デリーまで平和行進
29日、日本の護国寺で被災者のために祈祷会を開かれるダライ・ラマ法王。明日ダラムサラを発たれる。
今朝はキルティ僧院とンガバの人々へのモンラム(祈祷会)の導師を務められた。
犠牲者の冥福と、ンガバの危機が早急に終息することを祈られた。
今日のモンラムにはサムドゥン・リンポチェを始め、亡命政府大臣、職員、議会議長、議員、ジェツン・ペマ女史はじめ、各学校の校長、生徒、各僧院・尼僧院の僧院長、僧侶、尼僧、町の住民、外人サポーター・・・が列席。約3千人が参加した。
モンラムの間にダラムサラ・キルティ僧院のメッセージが読み上げられた。
「逮捕、厳しい弾圧が今も続いている。中国当局により現在行われている弾圧は、キルティ僧院の存在自体を無に帰すことを目的としている。このことは、僧院の僧侶たちだけでなく、全てのチベット人、世界中の仏教コミュニティーの損失でもある」
ンガバのキルティ僧院は地方でもっとも大きな僧院であり、仏教の重要な研究機関でもある。
モンラムは一時間半ほど行われた。
法王は正面仏壇の方に向かって座られ、法要の最中ほとんど脇目をされず、一心に祈祷に集中されていた。この写真はほんの一瞬横を向かれたとき。
法要後に何かメッセージを発せられるかなと期待したが、最後まで無言であられた。
モンラムが終わり、法王がお帰りになった後。ツクラカン前の広場では、これからデリーまで歩くというダラムサラ・キルティ僧院僧侶約100名のための壮行会が開かれた。
壇上には首相サムドゥン・リンポチェ、全キルティ僧院の長キルティ・リンポチェ、議会議長ペンパ・ツェリン、副議長ギャリ・ドルマが並ばれていた。
亡命政府総動員といった景色であり、中国の更なる反発も考えられる。
正面には、これまで焼身自殺を行った3人の写真と、最近中国により虐殺された人々の巨大なポスターが掲げられていた。
サムドゥン・リンポチェはスピーチの中で「行進を行う僧侶たちもそうだが、我々は仏教の教えに従い、弾圧する側への慈悲心を必ず持たねばならない。彼らはその行為の結果として将来苦しみを味わうであろう。心に怒りを持って行動してはならない。全ての存在にたいする慈悲のみが問題を解決する力となることを忘れてはならない」と述べられた。
炎の中に僧プンツォ、トゥプテン・ゴドゥップ、僧タペーの顔。
下に書かれているチベット語は「チベットの宗教と国家のために我が身を灯明として捧げた3人の愛国勇者」
「チベット人として苦楽を共に」
「チベットの宗教と国家のために我が身を犠牲にした、愛国勇者・勇女たち(一部)」
デリーに向け行進を開始したダラムサラ・キルティ僧院僧侶たち。
中国による言論弾圧、情報封鎖を象徴するために口には黒いマスクを掛ける。
ただ、今回の行進は人の居ない場所は車で移動し、主な町の中だけ歩くそうだ。よって案外早く、おそらく一週間後にはデリーに到着するであろうとのこと。
(インド警察により制止されることを避けるためでもある)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)