チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年10月31日
舌に関する絵と詩、対話
以下、ウーセル女史の10月29日のブログ。
http://woeser.middle-way.net/
翻訳は@yuntaitaiさん。
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◎舌に関する絵と詩、対話
ラサの穏やかではない真夜中、舌に関する詩をブログに出しておく。
作者は私で、3年前に書いた。
また、舌をめぐる対話も一つ出しておく。
何日か前、ある匿名のネットユーザーが私のブログにコメントした文章だ。名前も知らないこのネットユーザーに感謝する。
私は以前、自分の経験も絡めて「手術した舌」という文章を書き、ブログに載せたことがある。興味のある方はぜひ見てほしい。http://woeser.middle-way.net/2009/11/blog-post_08.html
この絵はチベット人画家ツェリン・ネンダックの絵「Police Phobiaoil(油絵:警察恐怖症)」で、舌に関するものだ……。
結末!
ウーセル作
ずらりと刃が並んでいると分かっている、
でも刃の先にとっても甘い蜜がついているのが見える。
こらえ切れず舌を伸ばして舐めてみる――
ああ、なんて甘い蜜なんだ!
もう一口舐めてみる、もう一口、もう一口……
あれ、舌は? 私たちの舌は?
どうして切られているんだ!?
2007年10月3日
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<舌をめぐる対話>
紅さん:知ってますか? あなたの舌はすごく醜いですよ、私が切って整えてやらないとね。
緑女史:私はすごくきれいだと思いますけど。藍さんと白女史もきれいだって言ってくれますよ。
紅さん:いやいや。見てみなさいよ、私の舌こそ世界一きれいですよ。
緑女史:実のところ、自分の舌にはとても自信があるんです、あなたがきれいと思うかどうかに関係なく。能力だって誰にも負けませんし。
紅さん:でもね、あなたの舌には何の値打ちも無いと思いますよ。私とまったく同じような舌を持ってこそ、おいしい果物が食べられるってもんですよ。
緑女史:ごめんなさい、私には分かりません。あなたは藍さんと白女史の前で私の舌を褒めたことがあるでしょ。どうして今ごろ私の舌を目障りだと言うんですか?
紅さん:うん、当時はあの人たちにゴロツキと思われたくなかったからね。
緑女史:あなたはあの人たちの見方を気にしてるけれど、どうして私の感じ方には関心を持たないんですか?
紅さん:黙りなさいよ。私はあなたと言い争う暇はないんです。今すぐあなたの舌を切りたいんです、だってあなたの舌はいつも私を不安にさせるんですからね。
緑女史:それなら藍さんと白さんに知らせます。これって違法ですよ。
紅さん:はは、私とあの人たちが友達だってこと、まさか知らないんですか?まだ私に山ほど借金を残してるんですよ、あなた、あの人たちがその間抜けな舌のことをまだ気にかけてくれるって信じてるんですか?
それにね、私こそが法律で、法律ってのは私のことなんですよ。
緑女史:もし舌を切ったことで私が死んだら、あなたは後ろめたいと思わないの?
(間合い)
紅さん:ああ、実は以前、別の人のも切ったことがありましてね、でも彼らも死んでませんよ。そうそう、彼らは私の人工舌を使ったんですから。
緑女史:親愛なる人よ、あなたが見たのは魂の無い死体なんです。彼らはずいぶん前に死んでいたんです。だから、どうか私を殺さないで。もし分かっていないようでしたら、人の道に反してるって教えてあげますよ。もしあなたが法律と権力だというなら、私に倫理道徳を目の前に並べさせてください。だって、それが私の唯一の武器なんですから。
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<補足>
まず、この絵、日本人がこの絵を見ると「あっかんべ~」をしているように見えるかもしれない。
しかし、チベット人には古くからの慣習として、挨拶する時に「舌を出す」というのがある。
元を質せば「大昔、悪魔が人間界に降り、人や家畜をさらって人々を困らせた。この悪魔には角があり、舌が黒いので、チベット人が互いに挨拶をするときには、自分が悪魔でない証として、帽子をとって角がないことを、舌を出して舌が黒くないことを示すようになった。」という話に行き着くとか。
特に、この挨拶は目上の人に対して従順、尊敬の印として行われる。
今では、こういう人をあまり見かけなくなったが、田舎の年寄りなどはよくやるようだ。
この男性は赤いダシュをしているのでカンパ(カンゼあたりのカムの男)と分かる。人民帽と思える帽子を被っている。
絵を大きくするとはっきり分かるのだが、眼鏡には赤い旗を持った警官の姿が映っている。
男は赤い旗を持った警官に対し、自分は悪魔ではないと、反射的恐怖心から「赤い舌」を出しているのであろう。
もっとも、英語の「Phobia」には「病的恐怖心」という意味もあるが、「嫌悪」という意味もある。
「 Phobiaoil 」とどうして「oil 油(絵)」がくっついているのかは不明。
この絵を書いたツェリン・ネンダックは、このブログで9月中に紹介した「チベット現代美術展」にも作品を出品している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-09.html#20100917
彼の「少年シリーズ」はウーセルさんの以下のブログに紹介されている。
http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_14.html
彼の「少年シリーズ」の中にも「口にマスクをした」少年の絵があり、「言論弾圧」を思わせるものもある。
しかし、この「舌の絵」で作者が意図したものが「言論弾圧」であったかどうか、本人に聞いてみないとはっきりしない。
でも、ウーセルさんは明らかに言論弾圧をテーマに以下の詩や対話を紹介されているようだ。
「舌をめぐる対話」:
この中、「紅さん」(中国語「紅先生」)は共産中国とすぐ分かるし、「緑女史」はチベットを象徴する色としてよく緑が使われるし、ウーセルさんに送られた話なのでチベット人と確定。
しかし、「紅さん」に山ほど借金を残してるという「藍さん」と「白女史」については不明。
アメリカが入っていることは確か、が、もう一国はロシアと私は思うが、違うかも知れない。
中国人に聞いてみたいところだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)