チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年7月26日
2008年に消えた人々/亡命者が激減
今日はU女史が翻訳して下さった記事を二つ載せる。
<2008年に逮捕され消えた人たちを、家族は今も捜し続ける>
http://www.tibetcustom.com/article.php/20100722145055501
2010年7月22日
ダラムサラ: (ダラムサラの)チベット中央政権は、チベット本土の首都ラサに近いセラ寺の僧侶たちが先導した2008年3月11日の平和抗議に対し行なわれた中国政府による残虐な弾圧のその後の経緯に関する報告を最近受け取った。
3月10日、一団の僧侶が平和的抗議を率いていた際、セラ寺の僧侶達は、僧院内に設けられた委員会(注:共産党の組織)や武警による脅迫をものともせず、そこに加わった。僧侶たちが武警による激しい暴行を受けたことを知った僧院付近のチベット人の住民たちも連帯を示すために抗議に参加した。
20歳のギャルツェンとチベット人の若者の一団は逮捕され、3月11日に武警による拷問を受けた。2年以上経った今も、彼らの所在は判っていない。
ギャルツェンの家族は彼を見付けられずにいる。ギャルツェンはニェモ県プスンの出身。抗議に参加し逮捕された時には、ラサで仕立て屋の仕事をしていた。
同様に、3月11日には、3月10日の抗議参加を口実として、100以上の世帯に対し公安・武警による一斉捜索が行われ、更に多数のチベット人が暴行を受け拘束された。
逮捕時の暴行は激しかった。
1人は後日釈放されたが、残り全員の行方は、残された家族が必死に探し回っているにも拘わらず、今も分かっていない。
その時、逮捕され、消えてしまったチベット人たちの氏名は:
テンジン、タサン、キキャ、ワンドゥ、プルブ、ナムセ、ミクマル、ペマ;
ケルサン、テンジン、ダワ・ツェリン、ラワン・ワンドゥ、パサン、カンド、ノルブ、パサン・ツェリン、ドルジェ・ツェリン、ナムガン、ニマ・ツェリン、タシ・ドルジェ、プルブ・ノドゥプ、ラクパ、ペンバ、ダチェ、プルブ、ツェリン・ラサン。
20歳の僧侶クンガが銃創を受けた遺体の写真は本土の外へと伝えられ、チベットに蔓延する人権の侵害と弾圧を立証した。
クンガはカンゼ、ダクゴ県にあるチョリ寺の僧侶。2008年3月24日に起こったダクポ県の平和抗議の際、仲間の僧侶と一緒にチベット人負傷者を救助しようとしていた時、中国の治安部隊に射殺された。
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<ダライ・ラマの許に逃げ込むチベット人が激減>
Straits Times
http://www.straitstimes.com/BreakingNews/Asia/Story/STIStory_557663.html
インド・ダラムサラ – ダライ・ラマを代表とする亡命チベット人コミュニティは、中国にとって常に苛立ちの種であり続けた。しかし北京政府は最近、その動きを弱める良い方法を思い付いた。新たな参入者を枯渇させることだ。
インドにおけるチベット人コミュニティの本拠地ダラムサラにある難民収容センターは活気を失い、ほとんど空となっているそのドミトリーが、この18ヶ月間に起こった変化を如実に表している。
チベット本土での中国の支配に対する蜂起後ダライ・ラマが生命の危険を回避すべく故国から亡命してきた1959年以来、インドはチベット人を保護してきた。
それ以降数多くのチベット人が危険を冒し、ダラムサラに亡命してきた。
大部分はネパール経由で、雪を冠する山々を徒歩で逃れてきた人々だ。
海外に亡命したチベット人の人口はおよそ20万人にもなる。
しかし最近、本土から逃れてくる人々の数は次第に減ってきている。
「2008年3月以前、ここには毎年2,500~3000人の人々が逃げてきていました」ダラムサラで最も高い場所にあるマクロード・ガンジの収容センターの副所長、ミンギュル・ユドンさんはAFPのインタビューに答えてこう語った。
「2008年2月以降、ここには約1,000人しか訪れていません」マクロード・ガンジの収容センターでは難民を区分して、ベッドや食糧、経済的援助の他、必要に応じ進学情報を提供、また人々にとって最も重要な、ダライ・ラマとの謁見の申込を受け付けている。
収容センターの殺伐さは、ダラムサラ郊外、谷の全景を見下ろす場所にぽつりと建つ住居に暮らす75歳の精神的指導者が微笑する肖像写真によってのみ活気づけられている。
女性用ドミトリーで悲しみに泣き叫ぶ女性が、亡命生活の感情面での苦しみを証明している。2008年3月、ダラムサラへの亡命者が減少するきっかけとなった月、チベットの首都では中国の支配に対して暴力を伴った抗議が起こった。
死傷者の数は判っていないが、中国政府は、ラサからチベット(自治区)を越えて近隣のチベット人居住地域へと拡がった抵抗活動により22人が死亡したと発表。チベット亡命政府によれば死亡者は200人以上。負傷者は1,000人に上る。 – AFP
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ネパールの警官は最近、熱心にチベット難民を逮捕している。
見つけられ、カトマンズに送られた難民は、それでも最後は国連の力で何とか中国に送り返されることを免れていた。
しかし、先週中国の高官がカトマンドゥを訪問していた時、それに合わせるかのように、二人のチベット人亡命者が中国当局に引き渡されてしまった。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/nepal-deports-two-tibetan-refugees-07232010220723.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)