チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年9月1日
僧ジャミヤン・ジンパ「叔母である勇女タシ・キの焼身を知り」
27日に焼身したタシ・キ(右)と中央に以下の文を綴った僧ジャミヤン・ジンパ、左はタシ・キの夫であるサンゲと思われる。タシ・キたちがダラムサラに来た時に撮影されたものという。
映画『ルンタ』の中に登場し、2008年にラプラン・タシキル僧院で真実を訴えるために外国メディアの前に飛び出したときの心境を語っているジャミヤン・ジンパは27日に焼身し、翌日死亡したタシ・キの甥にあたるという。2012年には彼の弟であるサンゲ・タシも焼身している。
今回、叔母であるタシ・キの焼身のニュースを聞き、ジャミヤン・ジンパは自身のフェースブック上に彼女の思い出を綴っている。
以下、その日本語訳である。
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昨日27日、中国政府の度を越した弾圧に対し、焼身という非暴力の手段により抗議した、私の叔母である愛国勇女タシ・キについてである。彼女はアムド、ラプラン(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)サンコク郷にあるグルラ村(མདོ་སྨད་བླ་བྲང་བསང་ཁོག་དངུལ་རྭ།)と呼ばれる牧民地帯の出身である。今年55歳になる。母親はすでに死亡しているが、80歳になる父親がいる。夫の名前はサンゲ。2人の間に息子4人と娘1人がいる。息子4人の内ツォンドゥ・ギャンツォ、サンゲ・ギャンツォ、ケルサン・ギャンツォの3人は僧侶である。もう1人の息子の名前はユンテン・ギャンツォ、娘の名前はクンサン・キという。
経済的には恵まれており、ラプラン・タシキル僧院近くに立派な3階建ての建物とサンコク郷のチベット人街に一軒、さらに「中国の新牧民村」と呼ばれるところにも一軒の家を所有していた。彼女が焼身した場所はチベット人街にある「赤い家」と呼ばれる家の中である。そこはラプラン・タシキル僧院から10キロほどの場所である。遺体は中国の部隊により運び去られたという。その他、メディアで伝えられていることもあるが確認することができないので、これ以上、今、状況について書くことはできない。
彼女は正直であり、高貴で、非常に優しい性格の人であった。特に善を積むことに熱心であり、満月ごとに断食を行い、菜食を続け、五体投地によるコルラ(右繞)も行っていた。これらの善業をダライ・ラマをはじめとするラマたちの長寿と彼らの望みが叶えられることへと回向していた。チベット語への関心も高く、自習により立派なチベット語を書けるようになっていた。村人たちは私と叔母が特に仲が良かったことを知っていた。
これまでに許可証を取り、2度インドに来ている。何れもダライ・ラマ法王にお会いし、教えを受けるためであった。常に法王のお言葉にためらうことなく従っておられた。法王のお名前を聞くだけで、自然に両手を合わせ祈っておられた。2度目のインドは2012年のカーラチャクラ法要に参加するためであった。この時は法王の法要や法話に参加するだけでなく、亡命政府指導者たちの講演会にも参加していた。このような時には私が彼女に通訳を行い、できる限りの解説も行った。彼女はその他、法王のかつての法話をできるだけ知ろうとつとめ、他のチベット人たちの活動についても知ろうと努めていた。彼女は自分の第2の母のようであり、故郷でも2つの家族は1つのようであった。
今日、彼女が焼身したと報じられても、私は信じることができず、呆然としている。長年親しんできた身内の人が亡くなったと知ることは耐え難いことである。これは、愛する弟であるサンゲ・タシが焼身したと知った時と同じく受け入れ難いことである。叔母がインドから旅立つ時、私は特別に悲しく涙が止まらなかったことを思い出す。それは、二度と会えなくなるという印だったのかと今は思う。その時は、「近い将来チベット人が自由になった暁には故郷に帰り、叔母の望み通り、法王の教えをみんなに紹介、解説しよう」と大きなことを言ったが、そんなこともいまとなっては、ただの夢となってしまった。
2015年8月28日 ジャミヤン・ジンパ
原文:https://www.facebook.com/jamyang.jinpa.58/posts/875087712582407
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)