チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2015年7月30日

映画『ルンタ』補足編:焼身者ツェリン・キをよく知る夫婦へのインタビュー、中

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9aedea00昨日の続き。

焼身したツェリン・キは、子供の頃から歌が上手で、人前でもよく歌っていたという。学校の休みに家に帰ったときには、遊牧の仕事を手伝っていた。学校ではよく勉強ができ賞も貰っていた。チベット語が大事だと、お母さんにもチベット語を教えていた。学校でチベット語擁護のデモが起こると、それに参加していた。

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ー ツェリン・キは放牧に行くのが好きだったそうですね。

妻:ええ、喜んで行ってました。家に戻るとお母さんに「今日はお母さん休んでて」と言い、普段仕事がたくさんある姉にも「今日は私がやるわ」と言って嬉しそうに仕事をしていたそうです。牧畜の仕事でも、外へ行く用事でも、何でも喜んでやっていました。女性が行う牧畜の仕事は、乳搾りから始まって、糞集め、集めた糞を広げて乾かすというのがあります。ヤクや羊の放牧、水汲みなどもです。お母さんやお年寄りが重い荷物を持つのを見ればすぐに「私が持つわ」と言うのです。誰でも、大変そうな人がいればよく手伝ってあげてたそうです。
夫:彼女は歌を歌うのが好きだったんだよね?
妻:歌は大好きでした。ツェリン・キ、歌を歌ってよと言われるとすぐ得意になって歌ったのです。遊牧民の歌を歌うのです。伝統的な歌が大好きでした。
夫:チベットの民謡ですね。最近の歌、ポップスじゃなくて、伝統的な歌が大好きだったそうです。
妻:いつも歌ってたそうです。放牧に行くときにもいつも歌を歌いながら行ってたと。
私:人が集まる時に、彼女が歌がうまいということで、呼ばれて歌うということはなかったのですか?
妻:そう、頼まれて外で歌うということもありました。お金を取るような場所でじゃないですが。声がいいので恥ずかしがることもなく人前でも歌っていました。すごくいい声でした。小さいころから。

ー 彼女はマチュの学校に進学しましたよね?田舎からマチュの街までどれくらいかかるのですか?

妻:夏の牧草地からどれほどかかるか分かりませんが、冬の家からならバイクで1時間ぐらいでしょうか?飛ばせば1時間ぐらいで行けますが、ゆっくりだと2時間かかるかも知れません。

ー 寮生活だったのですか?

妻:そうです。寮生活です。
夫:学校は全寮制です。

ー 学生はチベット人だけですか?

夫:そうです。チベット人の学校です。一般的な学校なら他の民族もいますが、チベット民族中学なので、チベット人だけです。

ー 学生は何人ぐらいいるのでしょう?

夫:2千人ぐらいいるかも知れない。千人以上いることは確かでしょう。民族中学校には中等中学と高等中学とがあって、それぞれ3年間の課程です。大学に入る前です。小学校は6年制で、7歳になったら小学校に行くというのが普通です。牧民なら8歳でしょうか。それから6年間勉強したら14歳です。だから民族中学には下は12歳から上は20歳ぐらいの学生がいるということです。

ー ツェリン・キは少し遅れて学校に入ったので年齢は高めですよね。

夫;そうですね。彼女はなかなか学校に行かせてもらえなくて、遅れてやっと入れたのです。9歳か、いや10歳だったかな?そこから6年間小学校で勉強して、16歳で卒業して中学校へ行ったのでしょう。

ー ツェリン・キが焼身したとき19歳だったという話ですよね。すると、中学3年生だったということでしょうか?

夫:ええ、中等中学の3年生だったのです。

ー 計算が合いますね。10歳で小学校に入ったのですね。

妻:普通は遊牧民でも7歳とか8歳で学校にやるんですがね。

ー この中学は2010年から何度もデモをやりましたよね。色んな学校でデモが行われたようですが、なぜこの学校で特に繰り返しデモが行われたと思いますか?

夫:それはチベット語に関するデモです。まず青海省で始まりました。レコンで始まり、チャプチャでもデモがあり、ゴロでもデモが行われました。2010年の9月に北京の中央政府が教育に関する10年計画を発表しました。その中の11番目の項目が、少数民族の教育に関する2010年から2020年までの計画だったんですね。どんな計画かというと、漢語を強化するような教育内容だったのです。
私:チベット語を抹殺するというような計画だったのですか?
夫:抹殺するとは書かれていません。表立ってはね。裏では、、、表には出て来ないんです。チベット語を減らすという考えなんです。青海ではチベット語を減らすことについて学生自身で考えてデモをやったのです。彼らも分かっていたんです。中央からチベット語を抹殺するような政策が出て、学生たちはそれに対して立ち上がる、そういう状況だったんです。
私:学生たちが立ち上がったとき、ツェリン・キも、
夫:参加したそうです。何度か。ある時、彼女は2冊の本を買って母親に渡したそうです。お母さんと兄弟のためだと言って。それはチベット語を勉強するための本だったのです。チベット語を学ばねばならないと言ってね。母親はチベット語が読めないのです。それで彼女がチベット語の読み方を教えてくれたんだそうです。チベット人ならチベット語をしっかり学ばないといけないと力説していたそうです。母親にも本を渡し、兄弟にも渡したんです。それで彼女に教わったんです。集落の他の人たちにもチベット語をしっかり勉強するべきだといつも語っていたそうです。彼女自身もたくさん文章を書いていたそうです。

ー おお、そうなんですか!

夫:家には彼女が書いたものがいくつか残っていると。何について書いてあったと言ってたかな? ラサに行けなかったことを悔しがるというのもあったらしいです。
妻:村で自分だけが学校に行かせてもらって、両親に助けてもらって、何の辛いこともないと書いてたそうです。でも、学校でいい成績をとって、その褒美に、いろいろ旅行に連れて行ってくれたけど、ラサには行けなかったので、それが悲しいと言ってたそうです。それで、ラサにいけなかったことを文章にもしたのでしょう。それから、両親の愛情と言語について書いてたと。
夫:チベット語をきちんと学ぶべきだということについても書いていたそうです。

ー チベット語を学ぶべきだという文章を残していたと。そのように強く思うようになったのはどうしてでしょう?このままだと消されてしまうと思ったからでしょうか?

妻:彼女はいつもチベット語を発展させないといけないと言ってたそうです。どうしてでしょうかね? チベット人のチベット語が中国語と混じって乱れているから、それはよくないということでしょうか。
夫:中国によってチベット文化が危機に晒されているのです。それを知ったチベット人は思うのです。チベット文化を守るためにはチベット語を守らないといけないのだと。チベット語が死ななければチベット民族は死なないのだと。中国人はチベット人を信用していません。中国はチベット語の力を弱めようとしています。いつかチベットの子供たちはみな中国人になってしまうのです。物の見方も考え方も中国人になってしまうと思っているのです。彼らがどんな話をしているのかというと、マルクスが、、、いや確かスターリンが言った言葉だそうですが、「1つの民族を抹殺するには、その言語を抹殺すればいい、民族は死ぬ」と。彼は経験上分かっていたのでしょう。だから、言語が保たれ、発展すれば、民族は保たれる、文化も保たれる、民族の調和も失われない、とチベット人はみんなそう考えているのです。今のチベットの若い人たちはみんなチベット語を守らなければ、チベット民族は死に至ると思っているのです。

ー そのような認識は2008年以降生まれたものですか?

夫:2008年からではありません。もっと前からです。もっと前からそのような共通の認識はありましたが、2010年から特に顕著化しました。言語を守ろうとか、民族の誇りという主張は、2008年の時点でもすでに強く言われていました。2008年というのは中間点のような位置づけです。

ー 民族意識が強くなっていると思われますか?

夫:そうだと思います。なぜかというと、中国では共産党が大きな影響を持っていますが、共産党は人民を利用するために、ナショナリズムを使いますよね。例えば日本が、日本がと言うでしょう。人民はバカでしょ、中華民族だ、中華民族だと繰り返され、チベット人は疎外されて行くのです。1つには、偉大な中華民族、偉大な中華民族と繰り返されると、チベット族や他の民族は「我々だって1つの民族だ」というようになり、ナショナリズム高揚の間接的影響を受けるようになったということでしょう。もう1つには、最近経済が発展し、食べ物もあるし、生活状態がよくなって、ものを考える余裕ができてきたのです。昔と違って今では、質素だが食べ物や着る物はあります。こうなると人は考え始めるのです。頭を使って考えて理解しないといけないのです。自然に主張は強くなってきます。

ー ツェリン・キが2012年、冬休み開けに焼身しましたが、その理由の1つとして新学期が始まったら突然教科書がすべて中国語になっていたからということが伝えられていますが、そのようなことはあったのでしょうか?

妻:そういう話は知りません。お母さんは彼女の本がたくさんあったと言ってましたが、そのようなことが理由だったとは聞いていません。
夫:彼らはデモをしましたが、その責任を取らされて、生徒たちが信頼し尊敬していた校長と学生に人気が高かった1人の教師が免職になったのです。校長は詩人でして、若い詩人で、とても有名なマチュの若い詩人、作家なのです。教師の方はダムニェン(チベット式三味線)の引き語りがうまいし、こちらも有名でした。この2人は考え方もしっかりしていたそうです。子供たちにも優しかったのです。この2人に対し当局が「お前たちの管理不行き届きのせいで学生たちがデモをしたのだ」といって、校長は降格になり、教師の方は水力発電関連の役所に異動させられたのです。この2人が辞めさせられて、学生たちは非常に悲しい思いをしたそうです。私はこれが動機の1つだったのではないかと思っています。

続く。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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