チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年7月24日
新たな拷問死 2008年以降チベット人政治犯100人以上が
ロプサン・イシェの生前写真。
昨日・一昨日、当ブログで紹介した元尼僧ダムチュ・ドルマの証言の中でも詳細に語られているように、チベットの政治犯は拘置所や刑務所で、ほぼ例外なく激しい拷問を受ける。そして拷問の末、死亡するケースが後を絶たない。チベット人権民主センター(TCHRD)によれば、2008年以降だけでもその数は100人を越える。先日、四川省の刑務所内で死亡したリタンの高僧テンジン・デレック・リンポチェも刑務所内における虐待がその死亡原因と国際人権団体はみなしている。
7月23日付けRFAなどによれば、鉱山開発に抗議し、2年の刑を受け、ラサのチュシュル刑務所に収監されていたロプサン・イシェ(65)が7月19日、ラサの病院で拷問死した。
チベット自治区チャムド地区ゾガン県トンバル郷(མཛོ་སྒང་རྫོང་སྟོང་འབར་ཡུལ་ཚོ།)出身のロプサン・イシェ(བློ་བཟང་ཡེ་ཤེས།)は地元の長老であり地元で金鉱山開発が始まろうとしたとき抗議活動の先頭に立っていた。
トンバル郷では、2014年4月終わりから環境破壊に繋がるとして地元住民が鉱山開発に反対する活動を始め、当局に拘束されるものが増えていた。同年5月7日には、前日当局に呼び出され尋問を受けた数人の内の1人であるパクパ・ギェルツェン(39)がビルの屋上から抗議の投身自殺を計り、死亡している。
彼は前日「トンバル郷のものたちは、これ以上鉱山開発に反対して問題を起こし困難な状態に陥る必要はない。俺が1人でなんとかする」と仲間につげており、投身の前に刀で2度自身を傷つけ、「チベットに自由を!独立を!ダライ・ラマ法王帰還を!」と投身の直前に叫んだと伝えられる。このことから分るように、チベットの鉱山開発抗議の活動は政治的意味合いも含まれているのである。
この事件の後、ロプサン・イシェたちは抗議活動を活発化させていたが、5月12日、彼は他7人と共に当局に拘束され、その後1年ほどゾガン県の拘置所に収監され、拷問を受け続けたという。今年の5月になり、彼を含むその内の3人が2年の刑を宣告され、ラサのチュシュル刑務所に送られた。
チベット亡命政府の公式サイトであるチベットネットによれば、「彼は刑務所内で受けた拷問の結果重傷を負い、目眩が続いていた」という。「重体に陥った彼は刑務所側の判断で病院に搬送されたが、7月19日中に死亡した」とされる。家族の懇願にも関わらず遺体は家族に引き渡されることなく、火葬される時、1人の僧侶と2人の兄弟が同席することだけが許可されたという。
地元の人たちは「ロプサン・イシェはまじめな性格であり、長老として常に地元のもめ事の仲裁役を引き受けていた」という。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)