チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年6月2日
<続報>先週ツォネで焼身・死亡したサンゲ・ツォは短い遺書を残していた
6月1日付けICT(International Campaign for Tibet)リリースによれば、先週5月27日に甘粛省甘南州ツォネ県で焼身抗議を行い、その場で死亡した2児の母サンゲ・ツォ(36)は焼身直前に短い遺書を走り書きしていたという。その他、目撃者の情報も伝えられている。
現地よりの情報によれば、サンゲ・ツォは焼身する前に「ダライ・ラマ法王に長寿を。パンチェン・ラマはどこにいらっしゃるのか?チベットに自由を」と書かれた紙を残したという。
また他の情報によれば、彼女は武装警官隊と軍隊の詰め所の前で夜明け前に焼身したが、そのとき、ダライ・ラマ法王の写真を掲げる仮の祭壇を作り、線香による供養を行っていたという。
また、早朝コルラ(右繞)していて、彼女が焼身するのを目撃したという老夫婦にコンタクトしたという情報も入っている。その老夫婦の話は以下である。「コルラをしているとき、少し遠くで炎が上がるのが目に入った。でも、それが人が燃えている炎とは思わず、何かが燃えているのだろうぐらいにしか思わなかった。それでも、なんだろうと近づいてみたが、同時に部隊も焼身に気付き出動して来たので、その場を立ち去るしかなかった」という。
当局はサンゲ・ツォの家族に対し、一切の法要を禁止すると命令し、親族のうち少なくとも1人を拘束したという。またサンゲの焼身に関連しチャプッシ僧院の僧侶1人が連行されたとの情報も入っている。
その他、サンゲ・ツォの生活に関する新しい情報も入っている。彼女は2003年にラサに出て、そこで夫となるタムディン・ドルジェに出会い、2人はラサで結婚し、2人の子供を得た。2人は食堂、店、宿屋を経営するまでになっていたという。しかし、地元の中国人商人たちに追い出し目的の嫌がらせを受け、やむなく北のナクチュで新たに商売を始めたという。最近ツォネに帰って来たが、2人はツォネとラプランに不動産を所有するともいう。子供2人は学校の傍に住む祖父の下に預けられていたという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)