チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年4月22日
<速報>ンガバ、屋外に祭壇を作りその前で焼身 内地139人目
焼身死亡したネキャプ。写真右側の花を持っている写真は、彼が焼身する直前に彼が友人のスマホに送ったものという。
4月16日、アムド、ンガバで1人の男性が焼身抗議を行い、死亡した。
焼身者の指名その他については未だ、情報が錯綜している。以下、複数の情報を並記する。男性の名前はネキャプ(ནེ་སྐྱབས།)と伝えるメディアと、ダムカル(དམ་དཀར།)と伝えるメディアに分かれる。年齢は40歳と伝えるメディアもあるが45歳前後が優勢。
焼身場所は、ンガバ県ラデ・カップマ郷(ལྷ་སྡེ་འགབ་མ།)にある自宅の中庭である。焼身後の燃え尽きた遺体の写真が伝わっている。彼は焼身前に家の外壁の前に仮の祭壇を作っていた。その祭壇(仏壇)にはダライ・ラマ法王と10世パンチェン・ラマの写真、その傍に妻と娘たちが写る家族写真が置かれていた。その前には花、香、水をはじめとするチベットの伝統的供養物が丁寧に並べられていた。彼はその前で焼身した。焼身しながら「ダライ・ラマ法王をチベットへ!パンチェン・リンポチェの開放を!」と叫んだと言われる。
遺体は当局に運び去られたという。彼が焼身した後、彼の兄弟や甥が警察に連行されている。
彼はンガバ県アンドゥ郷ギャデ村の出身であり、かつて地元にあるアンドゥ・ヤクゴ僧院の僧侶であった。その後、チュジェマ郷ソルマ村(ཆོས་རྗེ་མ་ཤང་གི་སོ་རུ་མ་སྡེ་བ།)出身の妻の家に養子として婿入りした。妻は去年死亡し、娘は1人という情報と妻は健在であり子供は7人という情報がある。
彼の妻の兄弟であるダルギェ(http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747241.html)は2012年5月27日にラサのジョカン前で焼身した2人の内の1人である。彼は最近、地元の僧院が主催する「世界平和と法王の長寿を願う祈り」に参加したり、そのために「非暴力と友愛を誓う」というメンバーに加わり、その模範的人物と見なされていたという。
彼の焼身を知り、ンガバの商店の多くが店を締め、多くの人が彼を弔うために各僧院に向かっているという。
チベット内地焼身者139人目。内死亡119人目。
6日前の4月8日に、カム、カンゼで尼僧イェシェ・ドルマが焼身したばかりである。
参照:
4月17日Tibet Times
ダラムサラ・キルティ僧院リリース
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)