チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2015年3月8日
<速報>ンガバで新たな焼身・死亡 47歳女性
3月7日付けRFA英語版によれば、3月6日現地時間午前3時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県で40歳の遊牧民ノルチュクが、中国のチベット政策に抗議する目的で焼身し、その場で死亡したという。
焼身時の状況やノルチュクの家族構成など詳しいことは未だ伝わっていない。彼女については最近デプ僧院の指導に従い他大勢のチベット人とともに肉を断っていたということだけが知られている。
ンガバ地区は2009年から始まった焼身抗議のメッカとも言える場所である。当局は蜂起記念日である3月10日を前に、2月18日のチベット正月(ロサ)ごろからンガバに更なる部隊を送り込み、緊張が高まっていた。
ノルチュクの焼身により内地の焼身者の数は137人となった。
さらに詳しい情報が入れば、追記する。
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追記:8日インド時間午後5時半。
この焼身に関するダラムサラ・キルティ僧院リリースが出された。それによれば、焼身があったことは確かというが、焼身の日時については「3月5日の夜」とされている。名前はノルチュク(ནོར་ཕྱུག)で同じだが、年齢は40歳ではなく47歳という。結婚しており子供3人の母親である。
出身地は焼身場所でもあったンガバ県トツィク郷ドワ村(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་སྤྲོ་ཚིགས་ཡུལ་ཚོའི་རྡོ་བ་སྡེ་བ།)。夫の名はペツェル、息子の名がプンツォク、娘の名がマンカとツェジン・キ。
ノルチュクは数年前からダライ・ラマ法王の長寿を祈るためにと肉を断っていたという。
焼身が夜中であったこともあり、遺体は当局に奪われることはなかったが、次の日の早朝、発覚を怖れ早々に近親者が集まり荼毘に付されたという。その後、部隊が現場に到着し、厳重な警戒が敷かれ、情報も途絶え、これ以上の詳しいことはまだ伝わっていないという。
追記2:彼女が焼身した日はチベット暦の正月15日であった。この日はシャカムニブッダの「舎衛城の神変」と呼ばれる故事に因んだ「神変祈願」の日である。奇跡を願う日ともいえよう。彼女はこの日を意識し、選んだのかもしれない。
ンガバ県での焼身はこれで37人。その内、彼女は5人目の女性である。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)