チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年9月29日
ウーセル・ブログ:特権を享受する「太陽の都ウオーク」
今年の冬、1月12日、中国のスター集団が1500人余りを引き連れ、「歩くことの力 太陽の都ウオーク」と題し、チベットの首都ラサを闊歩した。この官製イベントは役人により「心の公益プロジェクト」とも呼ばれた。
このイベントに対し、ネット上でチベット人たちは「もし僕らが10人以上でこんな風にラサを歩いたら、どんなことになる?」「特殊警察や武装警察が出動するだろう」とつぶやいた。
ウーセルさんはこのイベントを中国のチベット植民地化の象徴と見て、「今日のラサの残酷で皮肉に満ちた現状を『太陽の都ウオーク』よりもはっきり見せつけるものはない。売れっ子スターたちはチベット仏教の『心の修行』にかこつけて個人のイメージを飾り繕っただけではなく、あしき『チベット政策』の美化を手伝い、チベットの至る所で心の修行が本質的に圧迫されている真相を覆い隠した。そして、チベットが依然『アパルトヘイト』にあるという真の現状をかえって別の角度からはっきりと浮かび上がらせた。」と断じる。
原文:2014年2月5日付けウーセル・ブログ 唯色:享受特权的“行走日光城”
翻訳:@yuntaitaiさん
◎特権を享受する「太陽の都ウオーク」
(写真)新浪微博から転載
中国の映画スターたちがワシントン・ポストの最新記事「ディズニーランド化するチベット――観光はいかに占領の道具になったか」を読んだのかどうかは分からない。しかし、たとえ読んでいたとしても、自分たちこそが記事に書かれていた観光客だとは絶対に思わないだろう――「政府はチベットの僧侶を軍の兵士で脅すのではなく、厚かましい観光客の群れで窒息させつつある」。なぜなら、スターたちは自分を崇高な存在と考え、ラサなどチベット各地で実施していることは全て「心の修行」に関わる「心の公益プロジェクト」だと信じているからだ。
1月12日、中国のスター集団が1500人余りを引き連れ、堂々と「ゾンキョ・ルカン公園を出発し、ポタラ宮とラル湿地、ジョカンなどを経由し、最後はポタラ宮広場にゴールした」。聞こえ良く「歩くことの力
太陽の都ウオーク」と題し、中国メディアに大々的に宣伝された。リーダーの売れっ子スター陳坤は「私たちが押し広めているのはある種の精神と態度です。人生に何が起きても、いつも楽観するべきだということです」と語った。これについて、少なからぬチベット人のネット仲間が新浪微博で熱心に議論した。「もし僕らが10人以上でこんな風にラサを歩いたら、どんなことになる?」「特殊警察や武装警察が出動するだろう」「もしチベット族の150人が一緒に行ったら、どう扱われるんだ?」「地元民が6人以上集まるのは違法じゃなかったっけ?身分証を調べ、とりあえず1カ月拘束して、それからどう処理するか考えようって展開になる。本当に比べ物にならない扱いだ!!」
実際、これは現在だけの話ではない。1998年のチベット暦新年の期間中、田舎や僧院のチベット人男女200~300人がラサ全体を伝統的な巡礼路に沿って五体投地していたところ、当局に遮られてしまった。私は当時この巡礼者たちに同行し、この珍しくも短い壮観な場面をカメラで記録していた。
(写真)ソンタル・ギェルの2014年1月12日の微博から転載。投稿は同日中に削除された。
陳坤らスターの「太陽の都ウオーク」とちょうど同じ日、アムドのチベット人で映画監督のソンタル・ギェルが飛行機でラサに着いた。しかし、彼は1週間を費やしてからようやくラサ入りを許された。このため、彼はチベット人であることの苦労を微博で嘆き、手にした「チベット自治区居住証」と指定旅館に泊まるための「アドバイスカード」の写真を投稿した。これは昨年6月30日以降、当局がいわゆる「4省蔵区(青海、甘粛、四川、雲南の各省のチベット・エリア)からラサに来た者」を対象に始めた新しい措置だ。すなわち、ラサのチェック・ポストで登記し、検査を受けた上で、ラサ滞在中に使用できる証明書を身分証と引き換えに受け取る制度だ。しかし、彼のこの書き込みと写真はすぐに削除された。残念ながら私は写真を保存しただけだった。
陳坤らスターはラサでなぜチベット人とは異なる特権を持てるのかと問う人がいた。実は理由はとても簡単だ。英国がインドを植民地支配していたころ、風景の美しい場所にリゾート施設やクラブを建て、英国人に植民者の特権を心行くまで享受させたのと似通っている。1月15日に新疆と北京の警察に逮捕された中央民族大教授でウイグル人学者のイリハムは「差別化した民族政策、大民族の優先権」だと論評した。
(写真)ラサ市委副書記で宣伝部長の馬新明(右)がスターの陳坤を「ラサの歴史で初めての都市イメージ大使」に任命した。(ネットより転載)
実質的に「太陽の都ウオーク」は政府のイベントだ。中国官製メディアの報道によると、記者会見の席上、ラサ市委副書記で宣伝部長の馬新明は陳坤を「ラサの歴史で初めての都市イメージ大使」に任命し、証書とカタを与えたという。これ自体が全くのでたらめだ。この後、ある役人が「心の公益プロジェクト『歩くことの力』を始める」と発表し、まるで彼ら全員が気高い人物になったかのようだった。
報道された「現地の幹部と一般人、学生の代表、メディアなどから成る約1500人の隊列」は、明らかに選択と審査を経ていた。選手たちは黄色い腕章を着け、私服警官が警戒し、路上の車両はしばらく止められた。このような「心の公益プロジェクト」は、いわゆる「中国的な特色、チベット的な特徴」をどれだけ備えていただろうか。
興味深く思えたのは、軍隊行進に似たやり方で大股になって列を組み、ラサの街頭を通り抜けた時、中国のスターたちは歴史と現実の織り成すどんな風景を歩いていたかを意識しただろうか、という点だ。遥か遠い時代については触れる必要はないだろう。天地を覆した六十数年前の事件を回顧すれば、まさにダライ・ラマ法王がおっしゃった通りだ。「あなたの家、あなたの友人、あなたの祖国がたちまち全て失われた……」
今日のラサの残酷で皮肉に満ちた現状を「太陽の都ウオーク」よりもはっきり見せつけるものはない。売れっ子スターたちはチベット仏教の「心の修行」にかこつけて個人のイメージを飾り繕っただけではなく、あしき「チベット政策」の美化を手伝い、チベットの至る所で心の修行が本質的に圧迫されている真相を覆い隠した。そして、チベットが依然「アパルトヘイト」にあるという真の現状をかえって別の角度からはっきりと浮かび上がらせた。
2014年2月 (RFA特約評論)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)