チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年6月10日
中国外相の訪印に合わせ 猛暑の中 チベット人数百人がデリーで抗議デモ
正義を求めるデモ
6月8日、中国の王毅外相が2日間の日程でインドの首都デリーを訪問。スワラジ外相等インドの新政府要人と会談した。亡命チベット人社会最大のNGOであるチベット青年会議(TYC)はデリーの2カ所で抗議デモを行ったが、何れも警官に行動を阻止された。
昨日のデリーは最高気温47.8度。62年来の猛暑だったという。炎天下は50度を越えていたことは確かである。そんな中、デモ参加者たちは精一杯声を張り上げた。国連前で行われたデモの様子はビデオ(ここ)で見る事ができる。チベット人たちは「我々は正義を求める!」と声を張り上げた。
デモは最初中国大使館前で行われる予定になっていたが、デリー警察がこれを許さず、デモはデリーのチベットキャンプがあるマジュヌ・カ・ティーラ周辺で行われた。しかし、こちらも行進は警官隊に阻まれ路上で声を上げただけだった。
今回チベット青年会議は初めて中国外相のインド訪問を歓迎すると表明し、モディ新首相に対しチベット問題も議題にするよう求めた。「TYCは中国の王毅外相がインドを訪問することを歓迎する。主な議題は二国間の経済的利益に関するものであろうと推測するが、チベット問題についても是非話合ってほしい」とTYC議長であるテンジン・ジグメは話す。
6月8日、インドのスワラジ外相と握手する中国の王毅外相(写真ロイターより)。
ここ数年、中国軍によるインド国境侵犯がしばしば起こっている。このことを踏まえTYCはモディ首相に宛てた声明の中で「インドだけでなくチベットにおいても直ちに良き変化がもたらされるよう手を貸してほしい。我々はインドの永続的平和と安全保障はチベットが自由になることによってのみ達成されると信じる。チベットから中国軍がいなくなった時に初めてインドは恒常的な中国軍の侵入と理不尽な国境紛争から解放されるのだ」と主張する。
今回のインド総選挙でモディ首相率いるインド人民党(BJP)が圧勝した原因は、主にモディ首相が行うであろう経済改革への期待からと言われる。今回の外相との会談も経済関係中心であったと伝えられる。インドは対中国貿易において大幅な赤字を被っており、これを如何に解消するかがインドの課題である。チベット問題はもちろん議題に登らなかったらしい。
センゲ首相がモディ首相の就任式に招待される
新政権がチベット問題に対しどのようなスタンスをとるのかは未だ明らかではない。ただ、今回初めてチベット亡命政府首相であるロプサン・センゲが先週行われたモディ首相の就任式に正式に招待された。センゲ首相は「招待はされていたが私は目立たないように会場の後ろの方に座ろうと思っていた。しかし、会場で招待状を見せると『最前列に座ってくれ』と言われた」という。
インドのメディアはセンゲ首相が招待されたことはその時話題にしなかった。しかし、その後センゲ首相がモディ首相の就任式に招待されたことに対し、中国政府が強い抗議の声明を発表したことでメディアの話題となった。中国は「分裂主義者のセンゲ首相を招待したことは二国間関係を悪化させた」といい、「亡命チベット人の存在が二国間関係に陰を落としている」とコメントしている。
新政権はインドの経済発展のために中国との関係を深めたいと思いつつも、今後チベットカードも使う用意があるというサインと見る事もできるであろう。
亡命政府が『中道政策キャンペーン』を始める
先週木曜日ダライ・ラマ法王に『中道政策キャンペーン』の説明を行うセンゲ首相。
センゲ首相は先週『中道政策キャンペーン』というものを始めた。これはダライ・ラマ法王やセンゲ首相が口をすっぱくして繰り返し「我々は独立を求めておらず、チベット全域の真の自治を求めているだけである」という『中道政策』を標榜しているにも関わらず、中国政府は「ダライ14世や亡命政府の主張する『中道政策』は、偽装独立を求めるものである」と意図的に曲解し続ける状況に対し、あらためて『中道』の真の意味を世界に対し明らかにしようというものである。2010年1月を最後に途絶えたままとなっている『対話』をなんとか再会したいという強い思いの現れと言えよう。
また、このキャンペーンは内外のチベット社会でフラストレーションの高まりから『独立』を求める声が高まっていることに対し、これを牽制しようという意図も伺える。
非暴力闘争が続く保証はない?
『中道』とは『弾圧』と『独立』の『中の道』であるとするセンゲ首相は一方で、ファイナンシャルタイムズのインタビューの中で「将来チベットの闘いが非暴力であり続ける保証はない」とも発言している。
これは最近、ウイグル人たちがナイフや爆弾を使った過激路線へと移行したことを受け、「チベットにおいても、完全な非暴力闘争の一形態としての焼身抗議というスタイルに変化している。しかし、弾圧がこのまま続けば先はどうなるか分からない。不幸な事態も起こりえるかも知れない」という警告を中国やチベット人社会、世界に対し発したものであろう。
参照:6月5日付けRFA英語版
6月5日付けTibet Express英語版
6月7日付けTibet Express英語版
6月7日付けTibet Timesチベット語版
6月9日付けphayul
6月9日付けRFAチベット語版
6月9日付けNewsweek 日本語版
6月9日付けNDTV
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)