チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年4月18日
<続報>タウで焼身したティンレー・ナムギェルの弟が拘束される
<写真>ティンレー・ナムギェルを弔うダラムサラ・ヴィジルより。
ダラムサラ在住、タウ出身の元政治犯ロプサン・ジンバが@ルンタに伝えたところによれば、4月15日、タウ県カンサル郷で焼身したティンレー・ナムギェルは焼身当日の朝、タウの街に出て、タウでかつて僧ツェワン・ノルブと尼僧パルデン・チュツォが焼身した場所付近を散策し、そこで焼身しようとしていたらしいという。しかし、その付近は警戒が厳しく焼身は無理だと判断し、カンサル郷に帰りそこで焼身したという。
彼は焼身の数日前から友人たちに「チベットのために焼身することは意味のあることだろうか?」と問い質していたという。
彼の焼身に最初に気づいたのは、付近で小さな店を営んでいた彼の弟とそこにいた僧侶だ。弟は最初誰かが焼身し、炎があがるのを目撃したとき、それが自分の兄だとは気づいていなかった。駆けつけて初めてそれが兄のティンレー・ナムギェルであることに気づいた。しかし、もうそのときには大きな炎に包まれ助かる望みはなかったという。
その後、遺体は近くのゴンタル僧院に運び込まれ、法要が営まれた後、家族の下に引き取られた。警察は家に来たが、遺体が奪われることはなかった。今日、明日中にもタウのニンツォ僧院の火葬場で荼毘に付されるであろうとのことだ。
当局はティンレー・ナムギェルの衝撃的な焼身の写真を海外に送ったのは彼の弟であるリクチュンであると決めつけ、15日中に彼を拘束した。
追記(4月21日)彼の葬儀は20日にタウのニンツォ僧院で行われる手はずになっていたが、当局が17日の真夜中にカンサル郷で強制的に行わせた。
家族の下に警官と役人が現れ、「なぜティンレー・ナムギェルは焼身したのか?」と問い質した時、家族は「自分たちに自由を与えないから、彼が焼身したのだ」と答えたという。
ヴィジルの際、ティンレー・ナムギェルの焼身の情報を伝えるロプサン・ジンバ。
彼は最近のタウの状況について、スパイが小さな村にも送られ、すべてのチベット人の思想傾向、日々の動向がチェックされているという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)