チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年4月7日
獄中12年目 テンジン・デレック・リンポチェ解放キャンペーン
爆弾事件の冤罪により、2002年に死刑、その後無期に減刑され収監中のテンジン・デレック・リンポチェ。獄中12年を経て、現在彼の健康状態は非常に憂慮すべきレベルにあると伝えられる。彼が拘束され12年目となる今日、SFTを中心に彼の解放を求めるキャンペーンが、ダラムサラをはじめ世界8カ所の主要都市で行われた。
今年64歳となる、テンジン・デレック・リンポチェはカム、リタンを中心に7つの僧院を建て、その他病院、養老院、孤児院等を建て運営して来た。一般人を対象とした法話も何度も開き、地元で絶大な人気を博すリンポチェであった。
2002年、成都で爆弾事件が起った後、当局は彼の甥であるロプサン・ドゥンドゥップをまず拘束し、次に彼に爆弾事件を指示したとしてリンポチェを拘束。そして、2002年12月5日、当局は秘密裁判により2年執行猶予付き死刑を言い渡した。ロプサン・ドゥンドゥップはその後死刑執行され、リンポチェは国際的圧力により無期懲役に減刑された。リンポチェは収監された後も一貫して無実を訴え続けている。
<写真(SFTより)>今日、ダラムサラで行われたテンジン・デレック・リンポチェ解放キャンペーン。写真左手より獄中27年のアマ・アデ、33年のパルデン・ギャツォ、その他グチュスンのメンバー。
リタンの住民は彼の無実を信じており、当局がリンポチェを獄に送った理由は、チベット人に信頼され、チベット人を勇気づける存在を消し去るためであると思っている。当局は彼だけでなく、これまでに多くの指導的立場にある僧侶を逮捕し、影響力のある作家や歌手を獄に送っている。
長期にわたる収監により、彼の健康は損なわれ、現在、心臓病が悪化し、足を病み杖なしには歩けない状態という。彼の弟子たちは、リンポチェが刑務所でまともな治療を受けることができないことを心配している。
リンポチェは最近、世界で彼の解放を求めるキャンペーンを行うべきかどうかを聞かれ、「私の解放を求める運動により、私を取り巻く状況が悪化するのではないかと心配する人がいると聞く、しかし現在すでに私の状況は最悪である。これ以上悪くなるとは思えない。だから、解放運動を行ってもらっても差しつかえない」と答えたと伝えられる。
リンポチェと彼が運営する学校の生徒たち(ウーセルブログより)。
参照:4月7日付けTCHRDリリース
4月7日付けウーセルブログ
4月7日付けSFTフェースブック
テンジン・デレック・リンポチェに関する過去ブログ:
テンジン・デレック・リンポチェを救うために
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)