チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年3月24日
拘留者・受刑者の家族を不安で苦しめるために場所を知らせないという中国
12年の刑を受けたリクジン・ツェリン。
マレーシア航空370便が失踪して2週間以上経つ。中国人家族の不安と苛立、ヒステリー症状を伝える映像が世界中に伝わっている。家族の安否が不明の間、残された家族の心労は少なくないということである。中国政府は機体捜索のため張り切って何機もの軍用機を派遣している。早急に発見されることを祈る。
以下は同じ中国の話しだ。3月21日付けTCHRD(チベット人権民主センター)リリースによれば、中国甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県で2008年の抗議デモに参加し、5~12年の刑を受けた3人のチベット人の内、1人の居所が最近判明したが、残る2人の居所は家族が必死に捜索するも未だ不明という。
彼ら3人の消息が亡命側に伝えられたのもつい最近のことという。
「2008年3月18日、サンチュのチベット人たちはタクゴ(虎頭)山に集まり古代から伝わる祭礼の行事を行った。集まったチベット人たちはそこで、チベットの自由とダライ・ラマ法王帰還のために何かすべきだという決心をした。直ちにスローガンを叫びながら、山を下り、地区庁舎に向かって歩き始めた。デモ行進は当局により蹴散らされた」と現地ソースが伝える。
4月に入り、当局はこのときのデモ参加者逮捕し始めた。その中に今回12年の刑を受けていたことが判明したリクジン・ツェリン(རིག་འཛིན་ཚེ་རིང་།40)、5年の刑を受けたニンチャク・ギェル(སྙིང་ལྕགས་རྒྱལ།44)、7年の刑を受けたタシ・ツェリン(བཀྲ་ཤིས་ཚེ་རིང་།33)が含まれていた。その他、この時期どれほどのチベット人がこのデモに参加したために逮捕されたかは不明のままという。スローガンを叫びながら平和行進しただけで刑期12年は重過ぎると思われる。
逮捕後3人の消息は1年間不明のままであった。2009年4月になり、ツゥー市の裁判所が相次いで3人に刑期を言い渡したということが家族に知らされた。12年の刑を受けたリクジン・ツェリンがその後天水市の刑務所に収監されたということは判明しているが、その他ニンチャク・ギェルとタシ・ツェリンの行方は家族も知ることができないままという。
中国当局は政治犯に対し特に、拘束後その家族を苦しめるために居所を知らせないということを意図的に行う。その拘束期間というのは数ヶ月から1年以上に及ぶ。その間、尋問と拷問が繰り返される。残された家族はこのとき連行された家族がどのような目に遭わされているかをよく知っている。拷問の実体はチベット人みんなに知れ渡っている。政治犯の家族が心労で死亡したという話しを何度も聞いている。
刑期が決まるまで耐え抜くことができた政治犯はそれぞれの刑務所に送られる。刑務所にもよるが、どこも政治犯に対する待遇は最悪の部類と言われる。基本的には規定上、当局は家族に受益者の居場所を知らせ、1ヶ月に一度は家族と面会できることになっている。しかし、これは当局の気分次第でどうにでもされる、何年も家族との面会を許されない政治犯は少なくない。もっとも、今回のように刑期確定後5年も行方が知れないということは稀であり、安否が非常に心配される。
その他参照:3月22日付けTibet Timesチベット語版
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)