チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年3月14日

ウーセル・ブログ「チベットでの中国共産党の宗教政策を概説する」

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以下は昨年11月16日付けのウーセルさんのブログの日本語全訳である。ウーセルさんはここで、チベットに対する中国共産党の宗教政策を概説され、それは一環して「チベットの宗教に狙いを定め、段階的な破壊行動を進めることを目的としていた」という。そして、今では「チベットの全ての僧院は事実上、既に袋のねずみと化している」と結論する。

原文:概述中共在西藏的宗教政策 
翻訳:@yuntaitaiさん

概述中共在西藏的宗教政策

文/唯色

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3枚の写真は全てこの数カ月の間に私がラサで写したものだ。1枚目はダライ・ラマ法王が称賛する「チベット全土で最も神聖な僧院」ジョカンだ。今では僧院の屋上に真っ赤な中国国旗が掲げられている。2枚目と3枚目はラサ3大僧院のセラ僧院の写真で、残り少ない僧侶たちが問答場で観光客に向けて問答を演じている。手前の私服姿の若い漢人男性は実は武装警察か特殊警察だ。右手首に数珠を巻き、仏教徒のふりをしている。

◎チベットでの中国共産党の宗教政策を概説する

実はこの数十年間、チベットでの中国共産党の宗教政策は一貫している。時期や場所によって緩かったり厳しかったりするが、それでも一貫している。ここで少し全体状況を説明してみよう。

1958年の宗教改革は共産党中央の承認の下で始まった。これはアムド地方とカム地方などのチベット・エリアで始まった政治運動だ。僧院の閉鎖や宗教界の主要人物の逮捕、僧尼の強制的な還俗など、チベットの宗教に狙いを定め、段階的な破壊行動を進めることを目的としていた。青海省だけでも618カ所の僧院のうち597カ所が解体され、教育担当者5万7390人のうち3万839人が還俗した。

1959年の「反革命反乱」平定を名目とした宗教への打撃はとても大きかった。宗教指導者たちは他国へ亡命したり、逮捕されて刑罰を受けたりし、宗教は完全に疲弊した。

1966~1976年の文化大革命の後、元々チベット自治区にあった2713カ所の僧院はわずか8カ所しか残らなかった。青海、四川、甘粛、雲南の各省のチベット・エリアを含むチベット全土では、計6000カ所以上あった僧院が数十カ所しか残らなかった。

チベットの宗教は文革終結後、災難からよみがえったように復興を遂げ、破壊された大多数の僧院はチベット人信徒の努力で再建できた。説明しておかなければならないのは、これらの僧院の再建は基本的にチベット人が自発的に寄付して完成したということだ。中央や各級の政府が資金を出して再建した僧院は決して多くはなく、いくつかの有名な大僧院があるだけだ。

1980年代初頭、チベット・エリアの共産党指導者は以前よりもやや穏やかになり、チベットの宗教信仰にはある程度の自由があった。しかし、1987~1989年にラサで数回起きた抗議活動により、特に1988年に胡錦濤がチベット自治区党委書記に就任してからは強硬なチベット統治政策が始まった。強硬な政策は今日までずっと続いており、数人の書記はみな強硬路線だった。それは宗教への強硬な政策に重点的に表れている。

1989年1月、パンチェン・ラマ10世が突然円寂し、様々な疑惑を残した。

1989年3月~1990年5月、胡錦濤は武力に訴え、ラサに戒厳令が敷かれた。

1995年、パンチェン・ラマ10世の転生問題で、共産党とダライ・ラマは徹底的に決裂した。李瑞環(当時の中央政治局常務委員の1人)はダライ・ラマを「チベット独立をたくらむ分裂主義政治集団の頭目で、国際的な反中勢力の忠実な道具で、チベットで社会動乱を引き起こす根源で、チベット仏教の正常な秩序の確立を阻む最大の障害」と認定した。

この時のチベット自治区のトップは胡錦濤の選んだ陳奎元だった。同年以降、まずラサで、そして徐々にチベット自治区全体で、当局は全ての僧院に工作組を派遣し、「愛国主義思想教育」を展開するようになった。当時、工作組の略称は「愛国愛教弁」だった。主に手がけたのは、統一見解に基づき、ダライ・ラマへの認識について僧院の僧侶を一人一人検査することだった。合格しなかった場合、問題の程度の軽い者なら僧院を追い出し、重い者なら刑罰を下して監獄に入れた。この時期には僧侶の自殺や他殺事件が起きたが、外の世界が知ることはなかった。「愛国主義思想教育」運動が続いていた2008年、ラサ3大僧院からほかのチベット・エリアの僧侶を追い出すという新しい強硬な政策が始まり、3月の抗議を引き起こした。

この5年間、「愛国主義思想教育」運動はチベット全域に広がり、強い反発を招いた。2009年2月27日から2013年11月11日までに、チベット本土で122人、国外で亡命者5人の計127人が焼身した。ここには女性19人も含まれ、分かっているだけで108人が犠牲になった。しかし当局はますます強硬になっている。既によく知られ、批判もされているチベット自治区当局の政策、すなわち僧院と郷村での「9有」プロジェクトは特にそうだ。共産党の4世代の指導者ポスター(今では5人のポスターになっている)や中国国旗だけではなく、党の声を発するテレビ放送と新聞も持っていなければならない。更に僧院と郷村に工作隊、工作組を派遣し、規模のやや大きい僧院の外には僧院の外観に似せた派出所を建てる。チベットの全ての僧院は事実上、既に袋のねずみと化している。

2013年10~11月 (RFAチベット語)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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