チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年3月10日
3月10日 チベット蜂起55周年記念日 EU特使も参加
今日はチベット人にとって一年で一番重要な政治的行事が行われた日であった。55年前の3月10日、ラサのノルブリンカ前には数万人のチベット人が集まり、それぞれ自らの命よりも大事なダライ・ラマ14世を中国の手に落ちることから守ろうとした。これが所謂「1959年チベット蜂起」のきっかけである。これに対しラサに侵攻していた中国軍は無差別砲撃をおこない、その日から数週間に渡り行われた戦闘により数万人のチベット人の命が奪われた。
この日は、中国の侵略以降犠牲になったすべてのチベット人への追悼と、自由を得るまで戦い続けるという誓いを新たにする記念日である。
時折冷たい小雨が降る中、ダラムサラでは午前9時より、亡命政府主催の記念式典が行われた。
チベット国家斉唱と共に首相がチベット国旗掲揚を行った後、すべての犠牲者に対する黙祷が捧げられる。
最初に壇上に立ったのは、今回EU特使としてこの会のためにダラムサラに来られたというEU経済・社会委員会会長であるHenri Malosse氏。
40年来のチベットサポーターという彼は、「チベット人は自分が手本とする人々だ」と述べ、チベット人への強い連帯を示した。
「自由と人権を擁護するすべての国、組織、個人がチベット人を尊敬し支援しているように、私も40年以上前からチベットの内地で苦しむ人々に対し連帯感を持ち続けて来た。チベットの問題は国勢的問題であるが故に、EU初め各国が支持すべき対象である」とHenri Malosse氏は語った。
式典の後に行われた記者会見の席では「近く習近平に会う機会がある」といい、「EU連合が近く自由貿易に関する話し合いを中国と行う予定であるが、このときチベットの人権についても話し合うことが重要だ。近く、習近平がドイツを訪問するが、このとき我々は彼とチベットの政治的問題に付いて話し合うつもりだ」と述べた。
ある記者からの「今回この式典に参加することについて中国は圧力をかけて来なかったのか?」との質問に対し、「最近、中国の通商代表部からダラムサラに行ってはならない」という手紙が届いた。さらに、2月終わりには中国の外交官が私の家に来て『中国の内政に干渉しないように』と言った。私はそれに対し『我々に取ってはチベットの問題は国際的問題だ。中国の指導者たちだって日本や台湾に内政干渉しているではないか?まずは、現実を調査するために、自分たちをラサやその他のチベット人居住区に行かせてくれ』と答えておいた」と報告した。
次に議会議長が演説したが、これはパスさせて頂き、ロプサン・センゲ首相の3月10日の声明に移る。
全体としては、今回初めて、将来に対する危機感を漂わせる発言を行い、将来を担う若者たちにチベット語/文化を継承し、チベタンスピリッツを持ち続けると共に高学歴社会をめだすべきだと説いた。
まず、1959年以降を総括した後、「数へ切れないほど多くのチベット人が、家族と再会することもできず、また自由を獲得する日を待たずに死んでいった。私はこれを深く悲しむ。しかし、彼らの希望と夢は生き続け子供たちの中で育まれつつある」という。
「今のチベットの闘いは内外の新世代の若者たちにより導かれている。明白に大きな声でアイデンティティー・自由・団結を訴えているのは内地チベットの若い世代のである」と続けた。
亡命政府が中止を求めるにも関わらず、2009年以来126人(数へ方は一定していない)が焼身抗議者を行ったとして、昨年12月19日に焼身した僧ツルティム・ギャンツォの遺書を読み上げた。「私の声が聞こえるか? 見ることができるか? 聞こえているのか? ダライ・ラマ法王がご帰還されるために、囚われのパンチェン・ラマが解放されるために、600万チベット人の幸せのために私はこの大切な身体を炎と化すことを決心した」。
そして、首相は「内閣はチベットのすべての勇気ある男女に敬意を評する」と述べた。
ダライ・ラマ法王が最近、「結果をもたらさない(無意味な)デモをすることは気を付ける(控える)べきだ」と再々おっしゃっていることもあり、デモ自粛ムードも漂っているが、首相は「内閣は対話によりチベット問題を解決するために努力する一方、チベットの闘い・運動も効果的に維持し続ける」と話し、両面で行くという。
「中国がチベットを新侵略して70年目となる2020年には、自由であったチベットを知る人は稀となり、ダライ・ラマ法王も85歳になられる」といい、「次世代のチベットの指導者たちは厳しい現実に対処しなければならなくなるであろう」と将来に対する警告ともとれる言葉を発している。また、その頃には海外移住組が増え、「インド、ネパール、ブータンに住むチベット人とその他の外国に住むチベット人の比重は五分五分になる」とディアスポラが進むであろうという。
先の法王アメリカ訪問の際、オバマ大統領との会談が実現したことを実績とし、オバマ大統領も中道政策に対する支持を表明したと強調した。
最後に、最近アルナチャル・プラデッシュ州のタワンを訪問したとき、ダライ・ラマ法王がインドに亡命するとき通られた峠の上に立ち、首相は初めてチベットを地を垣間みたといい、「私は帰って行く道を確認した」と述べた。
式典が終わった後、皆は下ダラムサラまでの恒例大デモに出発したが、メディアはミュージアムの前に呼ばれ、そこで「チベット焼身者の像」の除幕式が行われた。外務大臣のデキ・チュヤンがテープを切った。この像を寄贈したのは在アーストラリアの中国民主化グループ。像の下には、これまで焼身したすべてのチベット人の名前が刻まれていた。
デモの前に、参加団体であるTYC,TWA,SFT,グチュスンが叫ぶ言葉等に付いて「気をつけるために」話合が行われたと聞いていたが、実際始まってみると、昔から叫ばれ続けて来た、今ではちょっとこれはと思われる、例えば「チベットはチベット人のもの!中国人はチベットから出て行け(チニチニバイバイ)!胡錦濤に死を!習近平に死を! チベットの完全独立を!」等という叫びもどんどん飛び出していたようである。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)