チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年3月8日
新たな拷問死 拘束の翌日
このところまた、拷問死のニュースが目につく。2008年以降すでに100人以上のチベット人が政治的嫌疑の元に拘束され、尋問中の激しい拷問や刑務所内の拷問により死亡している。
3月5日付けRFA等によれば、チベット自治区チャムド地区チャムド県にあるウォンパ僧院(ཝོན་པ་དགོན།)の僧タシ・ペルジョル(བཀྲ་ཤིས་དཔལ་འབྱོར། 34)が、拘束された日の翌日である3月1日、拷問の末、危篤状態で家族に引き渡され、家族が病院に運ぶ途中、死亡した。
現地からRFAにこの情報を伝えた匿名希望のチベット人は「彼は2月28日の午後3時頃、当局に拘束された。そして、3月1日には殴られた痕の残るひどい姿となって家族に引き渡された。話すこともできなかったという」と伝え、「家族はすぐにチャムド県の病院に運び込もうとした。しかし、残念ながら病院に向かう途中、午後3時か4時頃に死亡した」と続ける。
Tibet Timesによれば、警察は彼を家族に渡すとき「彼は自殺しようとして、こうなったのだ」と説明したという。
2月28日午後3時頃、僧タシ・ペルジョルの僧房に警官が押し入り、部屋の中を捜査した。この時、亡命政府首相であるロプサン・センゲのスピーチが入ったCDとダライ・ラマ法王の著書が見つかり、それを理由に連行されたという。
「彼の死は明らかに拘束中の拷問に依るものだ」「拘束される前、彼は若く健康だった。それが、家族に渡された時には口も聞けない状態だったのだ」と報告者は伝える。
僧タシ・ペルジョルはカンゼ州デゲ(デルゲ)にあるゾンサル僧院で13年間勉強し、教師の資格であるロッポンの称号を得ていた。「彼は非常に尊敬される僧侶だった。彼はいつも人々に喜びも苦しみも平等に感じるよう説いていた」という。
ウォンパ僧院では彼の死を受け、追悼会を行った。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)