チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2014年2月13日

チベット青年会議が「蜂起記念行進」を始める

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DSC_7650亡命チベット社会最大のNGOであるチベット青年会議(TYC)は今月8日、「蜂起記念行進」を始めた。ダラムサラからニューデリーまでの約500キロを一ヶ月かけて歩くという。

9日付けphayul によれば、参加したのはインドやネパールのチベットキャンプから集まった亡命チベット人54人とインド人1人。合計55人だが、この数字は、今年の3月10日が1959年から数へて55周年記念日であるからであり、それぞれの参加者が「中国支配の下で過ごした暗く苦悩に満ちた各年」を象徴するという。参加者の内最高齢は72歳、最年少は21歳。

この行進の目的についてTYCは、「内地チベットの危機的現状を訴え、焼身抗議者たちの要求と願いを支持し、内地チベット人への連来を表明するため」という。

TYC会長であるテンジン・ジグメは「ダライ・ラマ法王を自分たちの頭とし、チベットの人々を自分たちの心として、我々はこのキャンペーンを実行する。このキャンペーンは初めてでもないし最後でもない」と語り、「内地チベットの問題が解決され、ダライ・ラマ法王がチベットに帰還されるまで、そして内地チベット人の願いが叶えられるまで我々は一致団結して行動し続けるべきだ」と続けた。

「1949年に中華人民共和国に占領されて以来、共産党はチベットの文化、言語、アイデンティティー、精神的伝統を組織的に破壊または抑圧するために一連のキャンペーンと政策を強化し続けて来た。チベットは今、生死をかけた闘いの中にある」とある若者グループはコメントする。

ナグプールのインド・チベット友好協会会長であり、唯一のインド人参加者である、サンデッシュ・ミシュラは1996年以来、これまでに4度この種の行進に参加している。

「チベットの自由はインドの安全保障だと私は信じる。これまでにチベットでは126人がダライ・ラマ法王の帰還、環境保護、中国人移民反対等を求め焼身している。中国は非難されるべきであり、これらすべての問題を解決すべきである」と彼は語る。

このグループは3月10日の蜂起記念日直前にデリーに到着する。デリーでは集会を開く他、ニューデリーにある中国大使館に「5項目の要求」と題された覚え書きを手渡し、国連や各国大使館に要望書を手渡すことになっている。

「5項目の要求」の中には「すべての政治犯の解放。国際メディアのチベット入り許可。チベット人焼身者の要求を前向きに検討すること」が含まれる。

1959年3月10日、ラサのチベット人たちは中国支配に抗議する大規模蜂起を行った。これに対し中国軍は砲撃で応え、何万人ものチベット人が虐殺され、ダライ・ラマ法王は亡命を余儀なくされた。この3月10日を、世界に散ったチベット人は「蜂起記念日」と呼び、様々なイベントを行う習わしである。

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この行進を伝えるTibet Timesチベット語版の下にある、投稿欄に以下のようなコメントが載っていた。「まず最初に組織団体や参加者たちの努力、勇気、忠誠心を讃える。しかし、先日も(インド・アッサム地方)シロンにおいて法王は『チベットの外で抗議デモ等を行うときには注意が必要だ。外が騒ぐと、中国政府がチベット内で弾圧を強め、多くのチベット人が困難な状況に追い込まれる』とおっしゃったことに対し(TYCが)自らの考えを表明することが大事とおもわれる」と。

法王は去年の秋、日本を訪問されたときにもチベット人を集めた席上、同様の話しをされている。これを聞いた在日本のチベット人たちの中には、その後予定されていたデモを中止すべきかどうかについて悩んだと聞く。

去年以前に法王がこのような発言をされたということを私は知らない。なぜ、最近法王がこのような発言をされるようになったのか明かではない。外で内地チベットの現状を訴え、中国政府に抗議することが内地チベット人への弾圧強化に直接的に繋がっているかどうかについては私には判断しかねる。外のデモは亡命以来、内地の状況に合わせて継続的に続けられて来たことである。世界へ訴えることを止めるなら、世界の人々はチベット問題自体の存在を忘れ去り、問題はないという中国の主張を肯定することにならないであろうか?法王はもちろん、そのやり方を問題視されているのであろうが、TYCでさえ非暴力の闘いをモットーとしている。何れにせよ、法王のこの発言は影響力を持ち、法王の真意を秤りかね、チベット問題喚起イベントやデモへの参加を躊躇する人が増えていることは確かなようである。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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