チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年1月20日
カムやアムドでチベット人の乞食が増えている
カム地方のセルタ地区とアムド地方のゴロ地区においても商業に従事するものの大多数が漢人となり、デルゲ、ニャロン、カンゼ地区でチベット人の乞食が増えつつあるという。
RFAの南インド駐在員であるクンサン・テンジンが、現地で調査を行ったという人からの報告を受けとった。それによれば、2013年3月12日時点で、四川省カンゼ州セルタ県セルタで大小合わせ漢人経営の商店の数は323、これに対しチベット人経営の商店の数は130という。また、ゴロ州ダルロ県ダルロでは漢人経営の商店の数は220、チベット人経営の商店の数は120であったという。このように、チベット各地で漢人の進出が増加し、経済だけでなく、チベット人の習慣、文化も失われつつあると報告される。
されに、その現地報告者は、最近ニャロンやカンゼ、デルゲでもチベット人の物乞いの数が急激に増加しているという。例えば、例年僧院で行われるデチェン・シェンドゥプ・チェンモ(བདེ་ཆེན་བཞེངས་གྲུབ་ཆེན་པོ།)と呼ばれる宗教的行事が行われ大勢の人々が集まったとき、チベット人の物乞いが400人集まっていたといい、その内の一人に話しを聞くと「仕事が見つからず、家族を養うことができなくて物乞いをするしかない」と答えたという。
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かねてより、ラサでは漢人に経済活動を握られ、チベット人の商店の数は漢人のそれの10分の1以下でしかないという話しは伝わっていた。しかし、カム等ではまだまだ人口的にチベット人の数が勝り、漢人の進出は限定的と思われていた。私が2年前にカムを旅行したときの感想では、県庁所在地等ではその中心部の商業地区は圧倒的に漢人経営のビルや商店が多いということは明らかに見て取れたが、実際に商店の数を調査したわけではなかったので、実態は知らなかった。
また、物乞いの数も嘗てラサで見た驚くほどの数の物乞いはカムやアムドでは特に目立ってはいなかった。今ではラサの物乞いは当局が厳しく規制し、市内から追い出すということで数は激減しているという。しかし、このようにカムやアムドでは乞食が増加しているという現実があるということである。この原因は漢人の進出というのもあろうが、もう一つの要因である遊牧民の定住政策(生態移民)にもあることは間違いないと思われる。
ラサの物乞いについては、カムやアムドからラサに巡礼に来た者たちが物乞いをしながら巡礼と続けるという人が多い。もっとも、チベット人巡礼者であっても、お金のある者は物乞いをすることはない。
最近は当局がラサへの巡礼を厳しく規制しているので、この状況からラサの物乞いが減っているということも言えるであろう。何れにせよ、嘗て物乞いの中心地であった、パルコルでの物乞いはほぼ不可能になっていることは確かだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)