チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2014年1月6日
ウーセル・ブログ「炎の中からラサに向かうチベット人たち」
ウーセルさんは去年秋にラサに滞在中、巡礼者たちに声を掛け「どこから来たのかと尋ねた。彼らの答えた地名は全てチベット人が焼身した地域だった。彼らの多くは焼身者と年齢が近く、顔つきも似ていて、焼身者の家族のように思えた」という。そして、ラサにおける焼身がその後、巡礼者と彼らを泊める宿にどのような影響を与えたかについて詳しく報告する。
原文:12月27日付けウーセルブログ 唯色:从火焰中走向拉萨的藏人们
翻訳:@yuntaitaiさん
◎炎の中からラサに向かうチベット人たち
2009年以降、炎に身を包んだチベット人129人のうち6人の焼身場面。
2013年12月3日午後、アムド地方ンガバ(現在の四川省アバ・チベット族羌族自治州アバ県)のメルマ郷政府前で、30歳の遊牧民クンチョク・ツェテンが焼身抗議し、軍警に州都マルカム県へ連れて行かれる途中で死亡した。12月19日午後には、アムド地方サンチュ(現在の甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)のアムチョク鎮で、42歳の僧侶ツルティム・ギャンツォが焼身し、その場で死亡した。
クンチョク・ツェテンとツルティム・ギャンツォの焼身により、2009年以降のチベット人焼身者の数は129人になった(内訳はチベット本土124人、国外5人)。2013年は28件の焼身が起きた(本土26件、国外2件)。これまでに、分かっているだけで本土の107人と国外の3人の計110人が犠牲になっている。関わっているのは一人一人の生きた命なのだから、これは驚くべき数字だ。
11月にラサを離れようとしていたころ、私は僧院を参拝してもバルコルを回っても、アムドやカムから来た少なからぬチベット人の老若男女にいつも出会った。ラサ訪問を禁じられた残酷な数百日を経て、彼らはついにラサを巡礼できるようになった。ラサ入り前には尋問を受け、ラサ滞在中にだけ使える証明書を身分証と引き替えにして取らなければならない。ラサ入り後には指定された旅館に泊まり、公の場で絶えず身体検査や尋問などを受けなければならない。しかし、ようやく彼らはジョカンに供えられたジョウォ・リンポチェ(本尊の釈迦牟尼像)を拝めた。ようやく合掌してポタラ宮に祈り、巡礼路の1本1本で五体投地ができた。
いつも私は巡礼者を遮り、どこから来たのかと尋ねた。彼らの答えた地名は全てチベット人が焼身した地域だった。彼らの多くは焼身者と年齢が近く、顔つきも似ていて、焼身者の家族のように思えた。はるばるやって来たチベット人について私がツイッター上で伝えると、芸術家のアイ・ウェイウェイは感嘆して書いた。「炎の中から出てきたこの人たちはどこへ行くつもりなのだろう?彼らの気持ちを癒やせる場所はどこだろう?どうすれば彼らを慰められるのか、私には分からない」。ラサは本来なら巡礼者の苦しい心を癒やせるが、彼らは大通りや路地にあふれたゲート型金属探知機や警務站で体や携帯電話を調べられ、臨時居住証を求められる。言いなりにならざるを得ない彼らの姿を見ると、私の胸は苦しくなる。
少し前にラサの公安部門は各宿泊施設に通知(左写真)を出した。通知にははっきりとこう書かれていた。
「届け出るべき人員の登記の流れ:客の証明書をチェック―届け出―公安機関が確認―登記―送信―宿泊―出発―出発時刻を登記―プラットフォーム上にチェックアウト時刻を登記。届け出対象の者(自治区内ではチャムド地区、ナクチュ地区東部のディル県、ソク県、バチェン県、自治区外では青海、甘粛、雲南、四川、新疆籍の漢族以外の者)が巡礼や親族訪問、病気の治療、観光、出張、買い物などで一時的にラサに来たら必ずチェックする。10分以内に派出所に届け出て(電話6823809)、派出所は10分以内に確認する。宿泊施設はその後に登記、送信してよい。無届け▽1人の証明書で複数人が宿泊▽証明書なしで宿泊▽登記者以外の者が宿泊▽期限切れの証明書を使用――などの問題があれば、関係法規に従って厳しい態度で断固処罰する。深刻な結果を招いた違反は断固取り締まる」
聞くところによると、ラサの公安は各宿泊施設を集めた会議で、昨年5月27日にジョカンとバルコル派出所の間で起きたアムドの青年2人の焼身を取り上げた。そして、ほかの土地から来たチベット人宿泊客に細心の注意を払い、速やかに届け出るよう警告した。もし宿泊客から焼身者が出たら、と公安はすごんだ。「そうなれば『満斎飯店』の二の舞いだ。破産して、一家離散になってもらう」。この言葉はラサに広まった。
ジョカンの南側に面した「満斎飯店」は、アムドの青年が焼身前に泊まった宿だ。当局の怒りを買ったため、オーナー夫婦と入り口の警備員が捕まり、全財産が没収された。建物は「ラサ市バルコル古城管理委員会」に改装され、バルコル派出所はすぐ「バルコル古城公安局」に格上げされた。ラサ旧市街は「バルコル古城」と命名され、これをきっかけとして大規模ですさまじい旧市街改造が始まった。実は旧市街改造は一石二鳥で、「治安維持」の目的と取り決めの方が大きかった。
2013年12月 (RFA特約評論)
下の写真は私がラサ滞在中の2013年9~11月、ジョカン前広場やセラ僧院、バルコルで撮影した。写真のチベット人は皆、アムドやカムからラサに来た巡礼者で、私たちは知らない者同士だ。彼らの掛けている黄色や白のカタはジョカンやセラ僧院の僧侶たちが贈ったもので、僧院の神聖な仏像に金箔を張ったことを意味する。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)