チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年12月4日
<速報>ンガバ県メルマ郷でマチュ県の2児の父が焼身抗議 123人目
チベット系メディア等によれば、12月3日、現地時間午後5時頃、ンガバ州ンガバ県メルマ郷中心街の路上でマチュ県出身の遊牧民クンチョク・ツェテン、30歳、2児の父が焼身抗議をおこなった。
目撃者の話しによれば、彼は炎に包まれながら、「『ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王をチベットに!内外のチベット人が再び結ばれますように!』と叫びながら行き来し、倒れた。倒れ、なお炎に包まれながら、両手を合わせ、なにかしゃべっているようだったが、内容は分からなかった」という。
間もなくして武装警官隊が到着し、彼を連れて行こうとした。焼身者を囲っていたチベット人たちはこれを阻止しようとして、部隊と小競り合いが発生したという。この時数名が連行され、結局、焼身者を守ろうとするチベット人たちは蹴散らされ、生死不明のクンチョク・ツェテンは部隊により連れ去られた。バルカムの病院に運ばれたとの噂はあるが、現時点では生死不明である。が、ある目撃者は「生きる望みは少ないであろう」と語った。
その後、彼の妻と親戚の何人かも拘束されたという。4日の朝からは郷一帯に大勢の部隊が配置され、すべての商店は強制的に店を閉めさせられ、厳しい警戒が行われ、路で携帯を取り出せばすぐに取り上げられるという。
クンチョク・ツェテンは甘粛省ケンロ州マチュ県チュカマ郷ギュラ村の出身、父の名はサムコ、母の名はウンガ、妻の名はナムナン(28)、妻のと間に2人の息子がおり、上はチャクドル・キャプ、4歳、下はパーツェル・キャプ、3歳。クンチョク・ツェテンは妻の家に養子として婿入りしていたのである。
2012年1月23日にこのメルマ郷で政府に抗議する数百人が参加したデモが行われた。この時クンチョク・ツェテンもデモに参加し、一時拘束されていた。
ことしの夏、クンチョク・ツェテンは親戚の1人に「俺は中国政府がチベット人を弾圧し、自分たちが苦しめられていることにもう我慢できない。これを訴え、抗議するために焼身するつもりだ」と明かしたという。打ち明けられた彼はすぐに「そんなことはやらないほうがいい」と諭したが、決心したようないいかたで、まったく話しを聞き入れなかったという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)