チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年11月11日
<速報>新たな焼身 内地122人目
焼身した僧ツェリン・ギェル
Tibet Timesによれば、今日現地時間午後5時40分頃、ゴロ州ペマ県(མགོ་ལོག་པདྨ་རྫོང་། 青海省果洛州班玛县)ペマの路上で1人の若い僧侶が焼身抗議を行った。部隊により病院に運ばれたと伝えられるが、未だ生死不明。
焼死したのはペマ県アキョン僧院(ཨ་སྐྱོང་དགོན་པ།)僧侶ツェリン・ギェル(ཚེ་རིང་རྒྱལ།)、20歳。父の名はシェルプン、母の名はリンドル。
目撃者の話しによれば、僧ツェリンがまだ燃えている間に警官と軍人が駆けつけ、火を消して病院に運んだという。現在その病院は部隊に囲まれ、近づくことができないという。
チベット内の焼身は9月28日にンガバ州ンガバ県ゴマン郷 でシチュン(41)が焼身して以来およそ1ヶ月半ぶり。内地焼身者の合計はこれで122人。内外合わせ127人。
北京で十八大大会が行われていた去年11月中には28人ものチベット人が抗議の焼身を行った。今年も現在北京では第18期中央委員会第三回全体会議(三中全会)という重要な政治会議が開かれており、全国的に警戒が厳しくなっている。
今回の焼死も、この会議に合わせ、チベット人に対する当局の弾圧を非難し、チベットの自由と法王帰還を訴えるためのものであったと思われる。
追記(11月12日):今日のRFAチベット語放送等によれば、僧ツェリン・ギェルは家族2人と共に西寧の病院に転送されたという。
彼が部隊によりペマの病院に運び込まれた後、アキョン僧院には僧侶と地元のチベット人が大勢集まり、彼を取り返すために病院に向かおうということになった。実際数百人が彼が収容され、部隊が包囲している病院の前に集まり、彼を家族の下に帰すよう要求した。この結果、家族2人が中に入ることを許可された。その後、県病院では手当できないということになり、州都の西寧に送られたという。
目撃者の話しによれば、彼は燃え上がりながら数メートル歩き、路の真ん中で倒れたという。焼身時に何か叫んだのかどうかについては伝えられていないが、ある現地の人は「彼は600万チベット人の自由のために焼身したのだ。ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになり、黄金の玉座に再びお座りになるために行ったのだ」「チベット人に今立ち上がることを求めたのだ」とRFAに伝えた。
アキョン僧院はチョナン派の僧院。1533年創建。現在僧侶の数は約150人。ペマの南東数キロのところにある。
チベット人焼身の背景やリストなど、もっと詳しいことを知りたい方は>>>『太陽を取り戻すために』へ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)