チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年10月27日

AP通信:貴重インタビュー:チベットの村人が従兄弟の焼身に関する中国政府の報告を否定

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661e750bAPの記者が最近アムドの入り、焼身者の従兄弟である僧侶に会い、インタビューを行った。10月23日付けでその記事がでている。インタビューに答えた僧侶は当局により特定される可能性が高く、非常に危険な取材と記事であると思われるが、貴重なものであることは確かなので、この記事を以下、そのまま訳す。(記事には写真も載っている

ここで言及されている焼身者とは2012年10月6日にアムド、ツォエ(ツゥ 合作)で焼身、死亡したサンゲ・ギャンツォのことである。彼の焼身については:参考過去記事
<速報>更なる焼身 アムド・ツォエ 二児の父 
サンゲ・ギャンツォ焼身後のドカル僧院 焼身の背景 
焼身の原因は「夫婦仲」と言えば100万元やる 

貴重インタビュー:チベットの村人が従兄弟の焼身に関する中国政府の報告を否定

10月23日付けAP

中国、甘南:中国のチベット人居住区でサンゲ・ギャンツォが焼身し、死亡した後、警察が彼の家族のドアを叩き、尋問した。答えも用意されていたようであった。

27歳になる農民の焼身自殺はあらかじめ計画されていたのか?彼は外国の分裂主義者と繋がっていたのか?家族は焼身抗議の報償金として300万元(約50万ドル)を受け取ったのか?

サンゲ・ギャンツォの従兄弟は彼の家族がこのような質問を受けたと言う。その後、政府はこの手に負えない泥棒でかつ女狂いであった2人の子供の父親が、民族憎悪を煽るための入念で残酷な計画に煽動されたと報告した。彼は報復を恐れ、匿名を条件にインタビューに答えた。

焼身者の従兄弟である1人のチベット人僧侶は「(当局の)話しはすべて全くのナンセンスだ」と言う。チベット高原に向かう丘が広がる甘南州の村でインタビューは行われた。彼は料理と暖をとるための両方に使われるストーブの近くに座っていた。窓の近くの欄間にはダライ・ラマ法王の写真が飾られていた。

チベット人居住区で行われたこの貴重なインタビューの中で従兄弟はAP通信に対し、焼身者は2012年10月6日、甘南州の彼が住んでいた村の近くにある白い仏塔の傍で、チベット人の権利が保証されていないことに対し、個人的抗議を行ったのだと話す。サンゲ・ギャンツォは海外のチベット人グループと関係があったわけではないと言う。

「サンゲ・ギャンツォやその他焼身した人々について、沢山の嘘が広められている」と彼は言う。

海外のチベット人権団体は2009年初頭以降、僧侶・俗人、男性・女性、年少者・年長者120人以上が焼身していると報告する。そのほとんどは死亡している。人権団体は、これらの焼身はヒマラヤ地域における中国の強硬支配に対する内発的抗議であるという。

最初の頃、焼身のニュースを抹殺しようとした北京にはイメージ問題がある。その後、焼身のレポートが絶え間なく外部に漏れ続けることを知り、北京は次に焼身者たちを、分裂をもくろむダライやその支援者たちの煽動に乗せられたくず人間たちであるということにした。共産党がコントロールするメディアは焼身者たちをギャンブル狂い、泥棒、女狂い、或は社会から落ちこぼれたか身体的障害により苦しんでいた者たちであると書き立てた。

1959年に北インドに逃れたチベット仏教のリーダーであるダライ・ラマは自殺への関与を一切否定し、命が失われることを悲しみ、北京が国際的監視下で事態を調査することを求めている。彼はまた、チベットの独立ではなく、自治を求めているという。

北京の厳しい監視により、現地から独立したレポートをすることはほぼ不可能に等しい。外人ジャーナリストが甘南州を訪問することは可能であるが、今回の旅行中も警官たちがAP通信記者たちの監視し続け、現地のチベット人にインタビューすることを避けさせようとしていた。

直接の家族たちが黙らされているが故にサンゲ・ギャンツォの詳しい物語は未だはっきりして来ない。彼の従兄弟や近隣の人々はAPに対しサンゲ・ギャンツォの村に近づかない方がいいと助言した。政府のスパイがいて家族が話しをすることを妨害するであろうという。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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