チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年10月1日
焼身者の遺灰は強制的に川に流させられた
シチュンが焼身を行った現場。
9月28日にンガバで焼身、死亡したシチュンの遺体は当局が秘密裏に火葬し、翌日その遺灰だけが家族に渡されたが、当局は家族が遺灰を自宅に持ち帰り、葬儀を行うことを許さず、ンガバ川に流せと命令した。
彼の遺体は一旦、集まったチベット人たちにより自宅に運び入れることができた。しかし、しばらくして遺体を奪うために、大勢の警官と軍隊がやって来て、自宅のドアや窓を壊して中に押し入った。妻は遺体にしがみつき夫の遺体が奪われるのを阻止しようとしたが、叶わず、彼女も一緒に連行された。妻は次の日に解放された。
次の29日、警察は家族に「遺体はすでに火葬された。遺灰を取りに来い」と連絡を入れた。チョナン・セ僧院(ཇོ་ནང་བསེ་དགོན་པ།)僧侶と家族、親戚が遺灰を受け取りに行った時、役人と警官は「遺灰は自分たちが見ている前で川に流すか、地中に埋めよ」と命令した。仕方なく、遺灰はンガバ川に流されたという。
焼身当日の28日の夜にはチョナン・セ僧院の僧侶200人ほどと地元のチベット人大勢がシチュンの自宅に集まり、法要を行った。29日には僧院長のセツァンも法要に加わったという。
30日からは、部隊が再び自宅付近に動員され、シチュンの自宅に向かおうとするチベット人たちを阻止し、身体検査を行い、携帯電話等が押収されたという。
焼身者シチュンは1972年、父ソナム・テンと母シェ・コマの息子として生まれ、幼少時に僧侶となりチョナン・セ僧院に入った。1989年からチョナン・ザムタン僧院に赴き、カーラチャクラの行を3年間行った。
2008年還俗、2009年に彼の亡くなった兄弟の妻と結婚した。残された2人の子供というのはその兄弟と妻との間の子供。下の14歳になる息子はチョナン・セ僧院の僧侶である。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)