チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年9月17日

ダライ・ラマ法王とアウン・サン・スー・チー女史がプラハで会談

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1309160956191E9月15日プラハにて

ヨーロッパツアー中のダライ・ラマ法王はリトアニア共和国で大統領と会談し、議会に招かれるなど中国の圧力に関わらず手厚い歓迎を受けた後、14日、チェコ共和国に到着された。今回チェコ共和国を訪問された主な目的は、初代チェコスロバキア大統領であり1989年に共産党体制を覆す「ビロード革命」を指導した故ヴァーツラフ・ハヴェル(Vaclav Havel 1936~2011)が創設した「フォーラム2000」に参加するためである。

1239377_10201709446553530_1167791466_n「フォーラム2000」は、自由と人間の尊厳を獲得するために非暴力で独裁政権と闘い、チェコを開かれた民主主義国家に導いたヴァーツラフ・ハヴェルの精神を引き継ぎ、毎年首都プラハで開催されている。今年のテーマは「移行期の社会」であり、ソビエト崩壊後の国々、アラブ諸国、ラテン・アメリカ、アジア諸国をケーススタディとして移行期社会の様々な問題が討論される。

メインゲストのダライ・ラマ法王、ビルマのアウン・サン・スー・チー女史、南アフリカの前大統領フレドリック・ウイリアム・ドゥ・クラーク等を初め、世界の指導的政治家、学者、社会活動家、報道関係者、経済人、宗教家約100人が集まり16日と17日の2日間行われる。

1009891_579018198829450_1412170103_n会議に先立ち、ダライ・ラマ法王は15日の午後、スー・チー女史と会談された。スー・チー女史はビルマと政治的、経済的に深い関係にある中国の圧力を無視し、自ら法王の下へ足を運ばれた。亡命政府スイス代表であるツェリン・サンドゥによれば、会談の後スー・チー女史は「非常に喜び、満足した様子であった」という。法王とスー・チーさんの会談は2012年6月19日のロンドン初会談以来2度目である。

ダライ・ラマ法王は16日、「フォーラム2000」の冒頭で基調演説をされた。その中で法王は「私はどこでも『70億人類の同一性の認識』を育むべきだと話している」と述べられ、「この人類全体の同胞観を持つことにより、多くの人間が作り出した問題を解決することができる」と続けられた。また、ハヴァル氏と親交の篤かった法王は今回も彼の嘗ての執務室を訪問され、「私は彼の椅子に頭を触れ、彼の精神に思いを馳せた。たぶん、彼の椅子から祝福を得たと思う。私たちの責任は彼の意志、彼の夢、彼のヴィジョン、彼の精神を受け継ぐことだ」と語られた。

2013-09-16-Prague-N05同じく16日、法王はチェコ最大の新聞であるHospodarske novinyのインタビューを受けられた。その中で法王は「如何に強大であろうとも、中国は世界の民主主義と情報の自由というトレンドに従うべきである」と言われ、「中国は巨大な国家であり、世界で重要な役割を担っている。しかし、その役割を果たすには世界の信頼を得なければならない。検閲を強いる閉鎖的社会では信頼を得ることはできない」と続けられた。

130916032006QA法王はプラハで6000人の聴衆を集め「現代社会における慈悲と敬意」というテーマで話しをされた。その他、身体障害者の子供たちの施設を訪問されたり、ゲシェ・ランリ・タンパの「心を統治する8偈の教え」のテキストを使ったティーチングも行われた。

Dalajlama_a_Havel-300x246法王と故ハヴァル氏

法王は「ビロード革命」の次の年1990年に初めてチェコを訪問され、ハヴァル氏に会い、死の直前にも会っている。

AFPによれば、スー・チー女史はハヴァル氏には直接会ったことはないが、彼のことを「軟禁中に自分に希望を与えてくれた人である」と語り、「私がビルマで何年にも渡り自宅監禁されていた時、世界のどこかで私のために声を上げて下さった人(ハヴァル氏)がいたことを知っていた。そのお陰で、私は身体的に拘束されていたが、精神の自由を保つことができたのだ」と15日に話したという。

法王は17日にはドイツのハノーヴァーに向かわれる。

その他参照:14日付けTibet Net 英語版
14日付けphayul
16日付けphayul
16日付けTibet Express チベット語版
16日付けRFAチベット語版
16日付けVOTチベット語放送

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筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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