チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年9月7日

チベットの自由を訴えるビラを張り出した後、2年間の逃亡生活、ついにインド亡命を果たす

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_DSC8637-2ロプサン・トゥプテンはカム、カンゼ州デゲ県ザコック郷カユル村の出身。2011年チベット暦1月2日にデゲ県で仲間2人とともに、チベットの自由を訴えるビラを張り出した後、当局に追われる身となり、各地を転々。ついに今年8月5日、ダラムサラの難民一時収容所に辿り着くことができた。以下の話しはTibet Times が最近彼にインタビューしたというものである。

私は子供の頃に、祖父と祖母から1959年に中国共産党がチベット全土で如何に残酷にチベット人を殺戮したかを聞いていた。このことが心に強く残っていた。成長するに従い、中共がチベット人を殴りつけ農地を取り上げ、牧草地に鉄条網を張り巡らし、家畜を取り上げるのを見て来た。特に2008年蜂起以降当局が厳しい弾圧を行うことに対し耐え難い思いを抱いていた。

2011年チベット暦1月2日、仲間のツェリン・キャポとジャンパ・ンゴドゥップと共にデゲ県内の至る所に「ダライ・ラマ法王をポタラ宮殿にお招きすべきだ。チベットには自由が必要だ。チベットには人権が必要だ。中国人をチベットから追い出すべきだ。ダライ・ラマ法王に長寿を。」等と書かれたビラを張り出した。

ビラを張り出した後、逃亡し、最初カンゼ県ゴンラム郷ダホル村に1ヶ月間ほど身を隠していた。その間に聞き及んだ情報によれば、自分たちがビラを張り出したその日の内に、自分たちの村は大勢の警察と軍隊に包囲され、村人たちを脅し、ビラを張り出したのは自分たち3人だということが知れた。自分たち3人の家は捜査され、多くの金品が奪われたという。また、自分の63歳になる母親も連行されたと聞いた。

その年のチベット暦3月中にはデゲ県の各地に、我々3人の情報を当局に知らせた者には12万元の報奨金を出すというビラが張り出された。また、大規模な捜査隊が村々を巡っているということも分かった。そこで、3人一緒にいることは危険だということになり、それぞれ別々に行動することになった。自分はカンゼからザチュカに移り、その後、各地を転々しながら9月にはラサに入った。

しかし、その頃からカムやアムドのチベット人がラサに留まるためには特別の許可証が必要になっていた。自分はデブン僧院やセラ僧院の裏手にある山に隠れ、夜になると、僧院近くに下りて寝床と食べ物を得るという生活を2ヶ月ほど続けた。その間に同郷の人に出会い、彼から仲間のツェリン・キャポが捕まり、その後行方不明となったこと、もう1人の仲間であるジャンパ・ンゴドゥップはその後、誰1人として消息を知る者がいないということを聞かされた。

これを聞いた後、もう故郷に帰ることは不可能であると思い、インドへ亡命することを決心した。2012年初めに西チベットのンガリに移動し、そこで遊牧民の手伝いをしながら亡命の機会を待っていた。5月にはネパールとの国境近くにあるプヘンに移動して、そこで土木工事の仕事をして数ヶ月を過ごした。その間に一度、ガイドなしに雪山を越えようとしたが、途中道に迷い、引き返すしかなくなった。

その後、プヘンの人たちからインドやネパールに抜ける道について詳しく聞いた後、チベット暦11月中に国境付近の軍駐屯地を迂回し、越境し、1ヶ月ほど歩いた後、インドのウッタラーカンド州のデラドゥン方面にでることができた。ガンディラという場所に至った時インド軍に拘束された。軍人たちは食料と衣服をくれた。その後、ダチュンラという場所でチベット人の通訳を介し尋問を受けた。そして、テテエルディという場所にある拘置所に2ヶ月入れられ、アロムリという場所の拘置所に移され、再び拘置所で4ヶ月を過ごした。その後、インドとネパールの国境付近で解放された。

拘置所で出会ったネパール人商人からネパールやデリー、デラドゥンでチベット人たちが住む地名を書いてもらっていた紙切れをインド人に見せながらどうにかそこに行こうとして。しかし、持っていいた400元の現金を両替する場所も見つからず、移動する金がなかった。そこで腕時計を売り現金を作り、トラックに乗ってデリーに到着することができた。デリーの街を彷徨った末にやっと1人のチベット人に出会うことができ、彼がデリーの難民一時収容所まで連れて行ってくれた。

デリーの収容所で2日過ごした後、ネパールの難民一時収容所に送られた。そこで25日過ごした後、再びインドに送られ、やっとダラムサラの難民一時収容所に来ることができた。

家族はあなたの消息を知っているのか? インドに来た後、家族と連絡を取ったのか?

自分たちが故郷を離れた後、中国当局が地域の人々を監視していること、家族の何人かが逮捕されたことを知った。その後のことは全く知らない。自分の家族の生死も分からなかった。ダラムサラに着いて後、マクロードガンジで同郷の人に出会い、彼を介して家族に自分が無事にインドに到着したということを知らせてもらった。

インドに到着して今、何を思っているか?

やっと、自分は自由の国であるインドに来ることができた。しかし、チベットの中では今も多くのチベット人たちが中国政府の弾圧の下で困難な生活を強いられている。特に、刑務所に入れられている人たちは日夜、拷問を味わっている。他にも、私が経験したような苦しい逃亡生活を余儀なくされている人も大勢いる。彼らのために自分に何ができるのだろう、と考える毎日だ。

チベットからは政治的ビラを張り出したとか、デモに参加した後、逮捕を逃れるために山に逃げたという話しが度々伝わる。多くの場合はその後の消息が途絶える。彼は2年間以上も逃亡生活をした後、やっと亡命に成功した。その間の生活の苦しみ、高まる心労に付いて彼は詳しく話してはいないが、想像に難くない。捕まるのも地獄、逃げるのも地獄というわけだ。彼も言うように今も彼のように逃亡生活を続けている人もいるであろう。

彼はインドとの国境を越えた。インドに越境すれば、逮捕される。しかし、彼の例のように何ヶ月後には解放されるということであろう。それにしても、インド当局が亡命政府側に彼のことを知らせていれば、もっと楽にダラムサラに来れたであろうにと思わなくもない。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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