チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年9月6日

ダラムサラ:9月3日~5日 ダライ・ラマ法王ティーチング

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26_133ダライ・ラマ法王は9月3日から3日間、シャーンティデーヴァ(寂天 650年頃~750年頃)の主著「入菩提行論」をテキストとして仏教講義を行われた。今回の講義は東南アジアグループのリクエストによるもの。このところ毎年このグループに対して継続的にこのテキストを講読されており、今回はその第8章「禅定」の章を講じられた。

東南アジアグループ(シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア)の参加者は約400人、その他60カ国以上の国から参加した若干の日本人を含む外人とチベット人を合わせ約6000人が参加した。

8テキストに入る前に法王はこのところ度々「宗教間対立を避けるべきこと」について話されるが、今回も以下のように話された。

「最近でも、イスラム教徒同士の争いにより、多くの犠牲者がでている。スリランカではヒンドゥー教徒と仏教徒の対立が表面化している。スリランカとビルマではイスラム教徒と仏教徒が度々争っている。これらは非常に残念なことだ。それぞれの宗教は各人の性格や習慣、考えに従い選択され、それぞれの人々に利益を与えていることは確かであるので、これを私たちは受け入れるべきだ。

26_106すべての宗教が一国一宗教ということを唱えるが、世界70億人の社会を考える時、一国一宗教というのは現実に即した考えではない。過去3、4千年の間に様々な宗教が起こり、様々な真理が唱えられてきた。1つだけの宗教、1つだけの真理しかなかったというわけではない。特に現代の情報社会においては多くの宗教、多くの真理があることを認めるべきだ。現実的であるべきだ。

それぞれの個人にとっては1つの宗教、1つの真理であっても、社会レベルにおいては、例えば1つの家族の中においても、複数の宗教、複数の真理が存在し得るのだ。宗教というものは、それぞれの個人の考えを良い方向に変えさせるためのものであるから、それはそれぞれの個人の性格にあったものであるべきなのだ。」

26_130一日目の最後の方でテキストに入られ、2日目にテキストをすべて終えられ、三日目には、まず在家信者への五戒を、次に菩薩戒を授けられ、その後
タクプル・リンポチェのビジョンに現れたとされる如意輪観音の灌頂を授けられた。

シャーンティデーヴァの第8章のテキストは禅定の章ではあるが、そのほとんどは禅定の妨げとなる煩悩の対象を如何に避けるべきかについて説かれている。例えば、(出家者に対し)女性の体は如何に不浄なものであるかということなどが、事細かく説かれている。もちろん、これは男性僧侶を対象にしたものであり、尼僧にとっては男性の体が不浄ということになるわけだ。出家者にとってだけでなく、これは俗人に対してもある程度真理として説かれたものと受け取るべきと言われる。

そんなわけで、具体的な禅定のテクニックについてはテキストに説かれていないが、これについて法王が今回簡単に説かれた部分を以下に訳す。

26_117「38偈:他の思いをすべて捨て
(菩提心という)1つの思いに集中し(禅定に留まり)
心を統御するために精進すべきである

39偈:欲望が故に、今世と来世において苦悩を味わい
今世で(他の有情を)殺生、束縛、切断したりして、来世地獄に落ちる

とあるが、「心を禅定に留めよ」とあるように、この章は禅定を修めよという趣旨の章だ。これ以降に書かれていることは、心を様々な雑念から遠ざけるために説かれている。禅定を修める時の妨げとは、まず心が外界の対象に彷徨うということがある。まとめて言えば心が沈み込むこと(昏沈)と興奮すること(掉挙)を避けなければならない。欲望につられて外界の対象に心が向かう。この場合の対象は善なる対象のばあいもありえる。怒りの対象に向かうということももちろんある。とにかく、心が集中の対象から離れて、他に向かう時のことだ。これを避けなければならない。これは心が(集中の対象に)住することの妨げとなる。

8しかし、心が集中の対象に住しているというだけでは十分ではない。心が単に対象の上に置かれている状態。この時、最悪なのは昏沈だ。何も考えず、ただボーとしている状態が昏沈だ。昏沈はその内眠りを誘う。このように心がボーと沈み込んでいるのではなく、1つの対象に留まりながら、覚醒した状態を保たねばならない。禅定の妨げの主なものは心の沈み込み(昏沈)と興奮(掉挙)である。

心が活発になりすぎると掉挙が起こり、心が沈みすぎると昏沈に陥る。だから、心が上下しないちょうどいい状態を保たねばならない。これは外から測ることはできない。それぞれの経験に従いこれを知らねばならない。心が高まりすぎると雑念が起る危険性が大きくなる。反対に心が沈み込むと眠りに至る。例えばこれは体にも現れるが、心が沈んで、楽しくなくなると、頭が下を向きがちになり、心が楽しくなり興奮気味になると頭が上がって来たりする。経験に従い、この2つの欠点を避けるようにしなければならない。

26_122昏沈は特に危険なものだ。私たちはよく瞑想しているといって、単にボーとしていたりする。外の対象に集中している時でも、単にリラックスしてその対象に留まるということがあるが、これも昏沈に陥る危険がある。また、心を対象とする禅定を行う時にも、心の光明に集中しながら、その状態で休んでいるだけという状態とかも危険である。

私の知り合いの1人の話しだが、彼は3年3ヶ月の籠もり終えた。人柄もよく精進する人だ。彼は「3年3ヶ月の籠もりを終えて、それ以前より経を読むときの知能が衰えたように感じる」と言った。これはおそらく、例えば仏神の瞑想を行いながらも瞑想中の昏沈の危険性に気付かなかったからではないかと思った。これは気を付けるべきことだ。とにかく禅定には住とともに覚醒を保つことが重要だ。これに気をつけなければ、その後、観(智慧)を修める時に、その能力が削がれるというということにもなりかねない。

1_DSC56612013禅定の対象は様々だ。最初は息の出入りを観察するというのがある。息を吐き出し、息を吸い込むという感覚のみに集中するというのは心や仏神のイメージに集中することより簡単なはずだ。息の出入りをかずえ、20回、100回とかそれ以上というようにそれだけに集中すれば、様々な雑念が収束される契機になろう。これは外道も瞑想するし、テラヴァーダ(南伝仏教)の人々、ビルマ、タイの仏教徒もこれをよく行じる。これは大事な方法だ。外的瞑想の対象は様々ある。その他、内の心を瞑想の対象としたりする。

26_137無常とかに瞑想するときには、その前に無常に対する分析的瞑想が必要となる。その結果、一瞬一瞬変化する現象の無常性に対する確信が生まれた後に、その確信の状態に留まるということが行われる。この種のすべての瞑想については分析的瞑想と一点集中の瞑想の両方を行うことが大事だ。分析的瞑想なしに確信を得ることは難しい。確信を得た後にその確信に慣れ親しむための瞑想も必要だ。無常とか無自性(空性)は心の対象としての瞑想。慈悲とか信とかは心自体をその状態にして、感じ方を強くし、心をそのもの自体と化す瞑想だ。これらもその前によく考えて、その感覚を引き出した後にそこに留まる。その感覚が弱まったと感じた時には、再び考えることにより、その感覚を研ぎすまし、再び留まるということを繰り返すのだ。最初の内は短めの瞑想を数多くこなす方がよくて、慣れてくれば、瞑想の時間を徐々に延ばすようにする。

8一般的には一日に4回、夜明け前に一度、午前中に一度、午後に一度、夜中に一度行うことが望ましい。各自時間の余裕に従うことになる。仕事に就いて人たちは早朝に一度行い、仕事から帰って来た後に夜、一日を反省して考えるということを行えばいいであろう。週末には時間に余裕があるだろうから、外に散歩にいったり、遊びに行くのではなく、心の中を散歩すればこれもなかなか見るべきものが多くて面白いのではないか?そうではないか、ははは。」

26_138今回灌頂が授けられた如意輪観音。体色は白、右手は与願印、左手は後ろに付き、全体にくつろぎ、休息する姿。その右手前方には緑ターラ菩薩、左手前方には黒色の吉祥仏母がおられると観想する。

26_142講義が終わった後、東南アジアグループと韓国、日本人グループだけに対し、質疑応答の時間が与えられた。

その中、「嫌な人に対し、どのように接したらよいか?」という質問に対し、法王は「私にも嫌な対象はある」として中国政府の例を出され「中国共産党の指導者たちは私のことを『悪魔』と呼ぶが、それに対し私は反応しない。彼らがどう言おうと気にしないからだ。反応すると状況はもっと悪くなる。だから無視しているのだ」と答えられ、無視することも大事だと説かれた。

その他、講義中に「私はヒーリングパワーというものを信じないし、私にもそのような力はない。もし、そのような力が私にあるなら、このような痒み(と言われ頭の後ろを掻かれる)もないはずだ。この痒みの問題を話したあと、ある製薬会社が痒みに効く薬を送ってくれた。これこそヒーリングパワーだ」と言われ、世の中に流行るヒーリングパワーについて揶揄されたりもされた。

26_134以下、その他今回の講義中の写真。写真はクリック拡大可。

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2_D4D0696今回のティーチングに参加した日本人グループ、ダライ・ラマ法王と共に。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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