チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年8月23日
焼身者の甥とその友人が失踪し10ヶ月半
去年10月4日、自治区ディル県出身の作家グドゥップ(དགུ་འགྲུབ།)は感動的な遺書を残し焼身、死亡した。その後、当局により家族や親戚が大勢拘束されたが、そのほとんどは解放されている。しかし、彼が焼身した2日後、10月6日にラサで拘束された甥のタシ・チュワン(བཀྲ་ཤིས་ཆོས་དབང།)とその友人であるアプ・ソナム(ཨ་བུ་བསོད་ནམས།)は現在も行方不明のままであると最近内地から報告があった。
2人ともラサにあるドゥンカル言語学校の生徒であった。タシ・チュワンはグドゥップが焼身した時、さらに別の学校に入るために北京にいたという。叔父であるグドゥップが焼身した後、当局により北京がから追い出され、ラサに帰ったところを拘束されたのだと、報告者は語る。
その後、彼ら2人の消息はまったく途絶えたままである、家族は非常に心配しているという。
2012年10月4日にチベット自治区ナクチュの街中で焼身、死亡した作家グドゥップは目撃者の話しによれば「我々はどこに行こうと自由がない。チベットに自由を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!」と叫んだという。
彼が残した遺書を以下再掲する。
命により打ち鳴らされし国家(チベット)の太鼓の音
苦楽と業を共にする雪山の人々(チベット人)の目標は、完全な独立を達成し、ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすることである。しかし、ダライ・ラマ法王は非暴力による中道路線を提唱され、名実ともなる自治獲得に努力されている。そして、600万チベット人はこの法王のお言葉を頭上に掲げ、長期にわたり希望を共にして来た。
しかし、中国政府はこの提案に興味を示し賛同するどころか、チベット人の福祉を語るだけでもその者を逮捕し、非常な拷問を与え、ダライ・ラマ法王を非難せず、チベットが中国の一部であると認めない者を暗殺したり、失踪させたりする。チベット人の幸福にはまったく興味を保たず、真の現状を隠し続ける。
我々は非暴力の闘いをさらに研ぎすまし、チベットの真の現状を知らしめ、証拠を示すために、自らの身を火に捧げ、チベット独立を叫ぶ。虚空に有られる神々よチベットを照覧あれ、母なる大地よ悲愛とともにチベットを見守られよ。地上にある世界の全てよ真実に注目されよ。
清らかであった雪の国は赤い血に染まり、非情な軍隊により覆われ、絶え間ない弾圧の下にある。しかし、勇敢にして挫ける事のない雪の子供たちは、智慧の弓を引き、命の矢を放ち、真実の闘いに勝利するであろう。
最後に、雪山の同胞たちよ、平等と自由の権利を享受するために、チベット全体の目的を主とし、個人的な利害を捨て、団結を強めて頂きたい。これが私の願いだ。ディルの人グドゥップより。2012年3月14日。
雪の国チベットの兄弟姉妹よ、過去を振り返れば、喪失、怒り、悲しみ、涙のみで喜びを見いだすことができない。来る水龍の年(来年)には皆さんに健康と成功がもたらされることを重ね重ね祈る。
民族の誇りを保ち、喪失や苦しみに直面しても、決して勇気を失わず、団結を強めて頂きたいと強く願う。ディルのグドゥップより。
世の人々は富と権力、親愛と名声を得ることが幸せの基と思い、このために争い、利己的目的のみを追いかける。これら全てを遠く捨て去り、遥かなる目的のために進むも、何も獲得できず、蒼穹空々、大地漠々、光射さぬ闇と深淵に吹き荒ぶ強風に曝され、我が心の底に燃え続ける希望という炎により我が身は灰と化すか。しかし、火、水、風や荒々しい武器により我が身が粉々になろうとも、後悔せず、悲しみの叫びを決して上げないということが私の誓いである。
We Chatの中に
1. 最後の祈り:チベットには完全な独立が必要だ。中国人はチベットから出るべきだ。ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすべきだ。内外のチベット人が再会できる時まで、中国政府がいくら弾圧しようとも、我々は抗議を続ける。
2. 民族のために真実を訴える。自由のために我が身を捧げる。
友人に贈る手紙
今日まで、貴殿が示して下さった愛情に支えられ、私が心身ともに健康で過ごせたことに対し、感謝の意を伝えたい。今後、私の行動について、ある者は毒の泡を撒き、またある者は賞賛の太鼓を打つかも知れない。悲しみの涙を流す者もいれば、讃える歌を歌う者もいるかも知れない。何れにせよ、私の目的の是非に関し、心開けた知識人たちが考察することを望む。 友人プンツォク氏へ グドゥプより
参照:8月22日付けTibet Times チベット語版
8月22日付けTibet Express チベット語版
8月22日付けphayul
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)