チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年8月18日

女性焼身抗議者の夫に 妻を殺し火を点けたとして死刑

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1157464_459079450856787_1189104831_n死刑を言い渡されたドルマ・キャプ。

新華社によれば、8月15日、ンガバ州中級人民法院は焼身抗議者クンチョク・ワンモの夫ドルマ・キャプ、33歳に妻を殺したとして、故意殺人罪により死刑、政治的権利剥奪終身を言い渡した。

クンチョク・ワンモ、30歳は今年3月13日午後11時半頃、ンガバ州ゾゲ県タクツァ郷の路上で焼身を行いその場で死亡した。遺体は警察により運び去られ、次の日、夫に遺灰だけが渡された。そして、当局は夫ドルマ・キャプに対し、「妻の焼身は夫婦喧嘩が原因であると言え」と命令した。しかし、夫はこれを拒否したため連行されていた。

今回、裁判所は「夫ドルマ・キャプは酒を飲み妻クンチョク・ワンモと喧嘩になり、妻の首を絞め殺した後、火を点けて焼身に見せかけた」という。

ドルマ・キャプはこれを認めず、四川省の高級人民法院に上訴するつもりであると伝えられる。

2人の間には8歳になる娘が1人いる。焼身関連で死刑が言い渡されたのはこれで2人目。今回のドルマ・キャプへの死刑には執行猶予が付いていない。

参照:8月17日Tibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=8008
8月17日VOT中国語版http://www.vot.org/cn/西藏自焚女子贡确旺姆丈夫被判死刑/

以下、関連過去記事(2013年3月20日付け):

女性は焼身したのではなく「夫に殺された後、焼かれたのだ」!?

RFA中国語版が中国政府系報道http://www.rfa.org/mandarin/Xinwen/Zanhanshaqi-03192013004024.htmlを引用して伝えるところによれば、四川省ンガバの公安局は「妻を焼身に見せかけて、実は妻を殺した後、ガソリンをかけて燃やしていたという夫を逮捕した」という事実を突き止めたそうだ。

中国の公安は、この事件が発生したのは11日の夜と発表しているようだが、どうみてもこれは亡命側に「2月13日の夜中、クンチョク・ワンモ(30)が焼身抗議を行った」として伝えられている事件のことと思われる。

こちら側には「焼身があった後、直ぐに部隊が来て彼女は運び去られ、翌日には夫に遺灰だというものだ渡された。そして、当局は夫に対し『焼身は夫婦喧嘩が原因と言え』と脅迫したが、夫はこれを拒否したところ連行された」と言うことになっている。

これまでの焼身に関する当局の作り話については、すぐにそれはないだろう、状況からしてもおかしいと客観的判断ができるものばかりだったが、今回の場合は「ひどいことを考えるものだわい」と思いながらも、このままでは客観的判断を下すことが難しいのではないかということで、早速この情報を現地から受けたとされるRFAの友人に電話して、突っ込みを入れてみた。

質問:目撃者はいるのか?
彼:夜中だったし、いなかった可能性が高い。とにかく今全く現地と連絡できず、確かめようがないのだ。
質問:夫が警察に「原因は夫婦喧嘩だったと言え」と言われ、それを拒否したところ連行されたとなっているが、これはどうやって分かったのか?現場に誰かいたのか?
彼:誰からの情報ということはできないが、現地からの報告だ。夫の兄弟かだれかがその場にいて、その話が伝わったと思われる。警官が彼女を連れ去った時には廻りに人がいたようだ。「まだ死んでいなかった」と言っていた。情報を伝えたチベット人はこれを伝えるためにわざわざその地域を離れ、別の場所から連絡してきたのだ。嘘とは思えない。中国はこれまでにも色んな作り話をでっち上げて来たが、今度のは酷いと思う。
質問:目撃者の話が入ればベストだよね。これから追加情報が入る可能性はあるだろうか?
彼:そりゃ、あるだろうが、とにかく時間がかかりそうだ。今はまったく電話が通じない。
私:まあ、本当に夫が殺したのなら、当局が急いで遺体(?)を火葬にして遺灰だけを夫に渡すというのは、あり得ないことだよな。証拠隠滅したのは当局ということになるな。
彼:嘘に決まってるだろ!

ということであった。

中国も最近は色んなバリエーションをもってストーリーを考え出しているようである。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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