チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年7月27日

北京に行きテンジン・デレック・リンポチェ解放を直訴したチベット人4人が拘束

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51269411テンジン・デレック・リンポチェ。

2002年4月に成都で起ったとされる爆発事件の嫌疑を掛けられ、裁判で死刑を宣告され、その後地元のチベット人や国際機関の強い圧力により2005年に終身刑に減刑、現在も収監され続けているカム、ナクチュカの高僧テンジン・デレック・リンポチェ。彼は11年経った今も無実を主張し続けており、チベット支援団体が行う政治犯解放キャンペーンにおいても中心的存在である。

テンジン・デレック・リンポチェは地元で僧院、尼僧院、学校、病院、孤児院、養老院を建て、これを運営し、地元では絶大な影響力を持っていた。当局はそのような高僧を共産党の邪魔者として消し去るためにこの爆発事件も仕掛けられたのであろうと推測されている。

2010年に刑務所でリンポチェに面会することができた2人の妹は、「彼は非常に衰弱している」と報告している。また、ウーセルさんの報告によれば彼が建てた学校は養鶏場や屠殺場と化しているという。

リンポチェの再審や病気を理由とした解放を要求するために、北京に行き直訴するということがこれまでにも行われている。今月9日、再びリンポチェの姉と他4人のチベット人が北京に赴き、関係省庁に直訴を行った。しかし、これを知った地元ニャクチュ県当局は彼らの後を追い、北京で5人を拘束した。そして、7月20日、ニャクチュ県のカラという場所にある刑務所に姉を除く4人を収監したという。拘束された4人の名はRFAによれば、ソクラ・ルリ、アデ、ラモ・チュドゥク、ドゥム・ティンレ。

彼らはこれまでに集めた3万人を越える解放要求の署名と共に、リンポチェの無実を訴え、リンポチェがこれまでに行って来た社会活動は国家を分裂させるどころか、調和ある社会の建設に貢献するものばかりであると主張。地元当局は中央に嘘の報告を行っていると訴えている。

目撃者の証言によるとリンポチェは、裁判中に自身の無実を主張して叫んだと言われ、2003年1月の上訴の結果を待つ期間中に、刑務所から極秘で持ち出されたテープの中で以下の主張を行っている。「(当局が)何を言おうと、私は完全に無実だ。チベットのためにチベット人の幸福を守る事に献身的に働いて来たがために、私は罪を着せられたのだ。中国人は私のやる事や言う事が気に入らなかったのだ。逮捕された理由は,その意外にない、、、、私は常に他人に対して手を振り上げるなと説いている。それは罪なことだ、、、私は(爆発現場に落ちていたという)パ ンフレットを作ったこともなければ、配布したこともないし、爆弾を秘密裏に仕掛けたということもない。私はそんなことを考えたこともない。私は他人に害心を抱いたことはない」。

中国には黒監獄と呼ばれる中央政府への陳情者を秘密裏に拘禁するヤミ施設があることは広く知られている。これらの多くは地方政府がマフィアに金を出し運営している事が多い。そこでは暴行、性的虐待、金銭の没収など違法行為が平気で行われる。ここに入れられずに今回のように直接地方政府が直訴者を拘束し、地方に連れ戻すということもある。要は、地方政府に都合の悪い情報が中央に伝わらないようにするためのシステムである。中央政府もこれを黙認している。このようにして、中国では真実を訴える場所はどこにもないという状況が作り出されている。

リンポチェの裁判が正当なものであり、本当にリンポチェが爆弾テロを行ったというのであるなら、地方政府は今回のような直訴を怖がる事は何も無いわけである。

参照:7月26日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/Detention-of-four-petitioners-for-Tulku-Tenzin-Delek-in-Nyagchu-07262013155734.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
7月27日付けTibet Express チベット語版 http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10902-2013-07-27-06-16-50

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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