チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年7月14日
亡命者激減 ダラムサラ難民一時収容所は空っぽ
2008年以降、チベット本土からネパールを経由してインドに亡命するチベット人の数が極端に減少している。特に今年に入り激減し、今年はこれまでに合わせて35人しかダラムサラの難民一時収容所に辿り着いていないという。主な原因は中国の厳しい監視と思われ、亡命したくても亡命できない状況が続いている。このままだと、亡命社会の構造変化、縮小化は避けられない。
ダラムサラベースのチベット語メディアTibet Timesが、最近難民一時収容所を取材し、責任者に話しを聞き、それをまとめた記事が7月13日付けででているので、これを元に最近のチベット人亡命の実体を報告する。
ダラムサラ難民一時収容所(ネレンカン)の館長ガワン・ノルブによれば、2008年にアメリカ政府の援助で建てられたダラムサラのネレンカンは女性200人、男性300人、合わせて500人を一時的に収用できる規模であるが、2008年からの5年間に、合計3200人が亡命しただけという。「2008年以前には毎年3500人前後のチベット人が亡命していたのに比べると、この5年間を合わせた数でさえ、以前の1年間の亡命者数に満たないという状態だ。最近亡命する人のほとんどは僧侶であり、その他、ソガスクール(成人学校)やスジャスクール(13歳以上の新規亡命児童が行く学校)へ行く者ばかりで12歳以下の子供は非常に少なくなっている」という。以前は小学校初めから入ることを目的とした5、6、7歳の子供が中心であった。
現在の状況を尋ねると、「もう1ヶ月以上この収容所は空っぽの状態が続いている。特に今年に入る、亡命者の数は減り、現在まで35人しか亡命していない。今、ネパールのネレンカンに8人いる」という。
現在の職員の数を尋ねる。「ダラムサラ、カトマンドゥ、デリーのネレンカンを合わせ45人の職員がいる。今年に入り亡命者がほとんどいなくなっているが、亡命政府の方からここを閉鎖しようという話しは出ていない。議会の方で、亡命者が減っているから職員を減らすべきだという話しがでていると聞くが、正式な決定は今のところ何もない」とのこと。
もしも、亡命者がまったく来なくなったら、ネレンカンは閉鎖されると思うか? 「亡命政府が完全に閉鎖するということはあり得ないだろう。いくら少なくなっても、少しでも亡命する人がいる限り閉鎖はできないだろう。デリーのネレンカンを閉鎖しようという話しは出ているが、ネパールのネレンカンは国連の管理下にあるので、運営し続けるべきだろう」と館長は答える。
亡命者が減っている主な原因は何か?「中国政府がチベット内での弾圧を強めているので、亡命できないのだ。その上、以前のように何日も歩いて高い峠を越えて来る人がいなくなったし、ダム(ネパールへ抜ける道路上の国境の街)を経由する場合でも、以前は少しの金を払えば通過できたが、今は大金を払っても通過できないからだ」とのこと。
支援金に影響はあるか?「現在、支援金のほとんどはアメリカ政府から出ている。でも、これは亡命者の数に応じた援助だ。この先亡命者が減れば、援助も減るであろう」と館長ガワン・ノルブは答えた。
参照:7月13日付けTibet Times チベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7899
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館長は指摘してないが、2008年以降亡命者が減った原因の元を辿れば、中国政府の政策変更に行き当たる。中国政府は2008年3月のチベット全域における蜂起を契機に、チベット内地のチベット人とインドのチベット人を厳しく隔離する政策を取り始めた。ダライ・ラマ法王のいるインドを遠い土地にし、代わりに北京を近くと感じさせるためである。また、亡命者を減らす事により亡命社会を弱体化させるためである。
2008年を契機に国境警備を強化した。ネパール政府にも金を与え国境警備を強化させた。亡命者をネパールまで連れていくガイドを大勢逮捕した。自然にガイド料は跳ね上がり、今では1人何万元も払わないといけないという。さらに、今年に入り、カムやアムドからチベット人がラサへ入ることがほぼ不可能に近いほど規制されたことで、以前亡命者の中心であったカム、アムドの人が来れなくなったということが大きな原因と思われる。
こうして、インドの亡命社会ではTCV等の学校に新しく入る子供が激減し、南インドの僧院に入る僧侶も激減している。このままだと、これらの教育施設が縮小されるのは目に見えている。また、現在インドにいるチベット難民の多くが欧米を中心とした外国に移民している状況、中国政府が帰国を斡旋している状況とあわせ、インドやネパールの亡命社会が急速に縮小することは確かであろう。中国政府の狙い通りに事が進んでいるとも言えよう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)