チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年7月5日
アムドで1万5千頭の「トル」を放生
「放生」とは仏教徒が囚われの動物を自然に放つことで、徳を積むという行為である。飼われている鳥を放つ、市場で売られようとする鶏や魚等を放つ、家畜を放つというようにその対象は様々である。
チベット人が法要のために集まる場所には中国人やインド人がこれ見よがしに、捕らえた野鳥や魚を持って来て、金を取って放生を勧めるという商売もある。この場合には放たれたものをもう一度捕まえ、それを繰り返し儲けるということもある。
チベットでは羊、ヤギ、ヤク等の家畜を放生するというのが一般的だが、この放生を勧める会もあるようだ。RFAによれば、先月6月中にアムドを中心に放生を勧める「利他放光会(གཞན་ཕན་ཀུན་སྣང་ཚོགས་པ།)」の呼びかけに応じて、ケンロ(甘南チベット族自治州)のルチュ、ツォネ、ボラ、アムチョク、ギツァン、メシュル、ギャマ僧院等から多くの家畜がサンチュ県アムチョク郷に集められ、その数は2100頭に上ったという。この地区での呼びかけはこれで3回目というが、今回は以前にも増し、多くの人が興味を示し、沢山の家族が家畜を差し出したという。
この会はジェクンド大地震により多くの犠牲者が出た後、僧アニ・ケルタにより始められ、今までに一万5千頭の「トル རྟོལ།」の子供を放生したという。
この「トル」と呼ばれる家畜はゾモ(ヤクと雌牛を掛け合わせ生まれた雌)と、ヤクが掛け合わさって生まれた牛科の交配種である。この「トル」はゾモからミルクを採るための邪魔になるというので、普通、生まれてすぐ殺されたり、食肉用にされるという。生まれながらにそのような可哀想な境遇となる「トル」を集めて放生したというのである。
私はこの話を読んで、少し複雑な気持ちになった。そこで、ルンタ・レストランに行った時、最近チベットの田舎から来たルンタで働くチベット人にこの記事を見せながら、「これって、少しおかしくないか?このトルと呼ばれる動物は元々チベット人たちが、自分たちの都合で創ったゾモから生まれた子供だろう。それを放してやったといって徳を積んだと喜べるのかね?」と聞いてみた。すると、そのチベット人(カンゼから最近来た女性)は「ほっとけば、殺されるだけだ。チベットじゃ役に立たない人のことを『トルのようなやつ』というぐらいだ。それを放してやったのだからいいに決まってる。第一、トルは創ろうとしてできたんじゃない。勝手にヤクとゾモがやってしまってできただけだ」と、いまいちすれ違いの答えしか返って来なかった。
ま、とにかく、人間により勝手に創られ、役立たずとされた罪のない子牛たちが殺されないで放たれたのはいい事だと素直に思うことにしよう。
それにしても、この子牛たちは親もいなくて、本当に無事に育つのかなと心配になる。また、中国人が後を追いかけ、捕まえて、肉にしないことを祈る。
参照:7月4日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/animal-life-saving-activity-07042013104123.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)