チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年7月4日
中国が選んだ11世パンチェン・ラマがチベットを訪問するときには
「中国が選んだパンチェン・ラマを『偽パンチェン』と呼ぶのは止めよう。可哀想ではないか」という話が亡命チベット人社会では広がりつつある。彼は何も分からぬ幼少時に「貧乏くじ?」を引かされてしまっただけなのだ。責めるべきは彼を政治的に利用する中国政府というわけだ。
そんな彼が最近、焼身抗議が連続し、またこのところ「ダライ・ラマの写真が許可された」と噂されるチベットの北東部にあるゲルク派の名刹クンブン僧院を訪れた。
パンチェン・ラマと言えば、先月終わりには先代10世パンチェン・ラマの妻(中国人Li Jie)と娘であるリクジン・ワンモ(30)がラサとシガツェのタシルンポ僧院を訪れている。リクジン・ワンモは地元のチベット人たちから篤い歓迎を受けたという。北京政府は彼女がチベット自治区を訪れることを長年禁止していた。今回の訪問も許可はされたが、秘密裏に行われたと言われている。
何故この時期に外国に住んでいるリクジン・ワンモのチベット訪問が許可されたのか? 今流行のチベット政策軟化の印なのか? 中国の選んだパンチェン・ラマに繋がるパンチェン・ラマの名前を印象づけるためなのか? その意図は計り難い。
中国が選んだ11世パンチェン・ラマ、ゲルツェン・ノルブは7月2日にクンブン僧院を訪れた。その時の警戒ぶりは異常であったという。まず、彼が訪問する数日前から当局は、そのままだと、彼の訪問を歓迎するチベット人はほぼいないということになるので、それはまずいということで、僧侶、役人、生徒、一般人合わせ少なくとも一万人が動員されるべきだという命令を出した。また、集められた人々は彼が通るとき、必ず「喜びの表情」を見せなければならないと命令され、もしも、そのように振る舞わないときには罰するとまで言われたという。
実際に彼が訪問した日には、約6千人が集められたというが、至る所にボディースキャンの機械が据えられ、クンブン僧院内でも僧侶一人一人に対し、厳しいチェックが行われたという。
参照:7月2日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/chinese-penchen-arrives-in-kumbum-monastery-07022013163912.html
7月3日付けTibet Times チベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7860
ラサを訪問した10世パンチェン・ラマの妻(左)と1人娘(右)。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)