チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年6月30日
米大使が訪問し ラサが突然平和都市に変身
今週25日の火曜日からチベット自治区の首都ラサを在中国米大使ゲイリー・ロックが訪問した。2010年に続き、異例の許可。現地チベット人がRFAに伝えたところによれば、彼が訪問している間、ラサから軍警が消え、突然平和都市が出現したという。
「パルコルを中心にラサ市内にあった検問所や武装車両が消えた」と匿名希望の現地報告者は伝える。「パルコルの屋上にいつも見えていたライフルを持った警官の姿も見えなくなり、ラサの至る所にあったボディスキャン所も無くなった」、「ラサは突然平和都市に変身した」という。
ラサでは宗教的集会も禁止されていたのに「ツォモ・リン地区で仏教法話の会が開催された」、そこには「警官たちが、チベットの田舎の遊牧民の格好をして、手にはマニコロと数珠を持っていた」、「まったくお笑いだが、彼らがやった事はこんなだった」と彼は言う。
米大使ゲイリー・ロックには家族と大使館員数名、それに成都の領事が同行していた。彼の訪問は最初3日間と伝えられていたが、RFAは4日間といい、他のメディアの中には6日間と書くところもあり、一定しない。
大使本人からのコメントはまだ発表されていないが、米政府の外交報道官Patrick Vintrellによればロック大使はラサでチベット自治区党書記の陳全国、ラサ市党書記に会い、「外交官、外人記者、外人旅行社に対し、もっとチベットを解放すべき事。チベット人の言語、宗教、文化を含む文化遺産を保存することの重要性を説いた」とされ、さらに「増加する焼身事件への憂慮も表明した」と報告される。なお、会談にはラサ地区の主な僧院の僧院長も出席していたという。
これから北京に帰り、大使本人がどのようなコメントを発表するかが注目される。大使も当局が訪問に合わせ、舞台をしっかり整えていたであろうことは十分承知の上であろう。自分が見たり聞いたりしたことがすべて舞台上の演技であり、真実の姿ではないこともご存知のはず。ではあるが、彼がラサを訪問するだけで、メディアがラサを話題にし、2008年以降の厳戒態勢やら焼身の話が書かれる機会になったことだけは確かである。
参照:6月28日付けRFA英語版 http://www.rfa.org/english/news/tibet/shown-06282013155437.html
6月29日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/us-ambassador-gary-locke-concludes-tibet-visit-06292013140103.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)